現在制作中で、今年中に刊行予定の「みちのく古代巡礼」におけるメモ。
長いメモだけれど、今回の本の核心となること。
東北の荒神は、穢れや災いを祓う力であると同時に、荒々しい自然や外敵の力をも象徴し、多くは塞の神(境界神)・道祖神と重なり、集落や家の入口・台所・炉端に祀られている。これは、修験道や山岳信仰と習合するケースが多い。
毎年、8月1日に行われる早池峰神社の例大祭。その前日の宵宮で6時間にわたって奉納される早池峰神楽は、2009年にユネスコ無形文化遺産に登録された。
早池峰神楽は、東北の荒神に対する信仰が色濃く反映されており、修験者たちが村々を巡り、悪魔祓いや五穀豊穣祈願のために舞ったことが起源とされる。
早池峰神楽は、通常、神降ろし → 物語性のある舞 → 荒神・鬼退治の舞 → 権現舞 という流れを持つ。
この例大祭と神楽の中心に存在しているのが、獅子頭を冠した「権現」で、権現が人々の頭を噛む所作は、病魔退散・福徳招来とされる。
そして、権現の舞こそが、神楽のクライマックス。これは「荒神の祟りを鎮め、祓い清めの力に転化させる」儀礼の締めくくりである。
「権現」というのは、カミの化身であり、仮の姿となって人間の目に見えるように現れたということ。
早池峰神社のカミは、この神社の御神体の早池峰山であり、これは女神とされる。もともと山そのものが女神であり信仰の対象であったのだろう。この早池峰山の頂きに奥宮があり、瀬織津媛が祀られているのだが、早池峰神社の由緒によると、807年に山頂に姫大神を祀ったことが始まりとされる。
瀬織津媛は、京都の宇治橋に伝えられる橋姫伝承において、橋姫は瀬織津媛であり、これは境界の神であるとともに鬼としての荒々しい側面があると伝えられる。
この瀬織津媛の性質は、東北の荒神の性質と同じなのだが、早池峰神楽には、この「荒神」が神楽で舞い清められるという構造がある。荒神は、荒ぶる力を持つが、正しく祀れば守護神となるのだ。
瀬織津媛は、武蔵国一宮の小野神社の祭神であるように、「小野氏」と関わりの深いところに祀られていることが多い。
橋姫伝承が残る京都の宇治も、宇治平等院の開山の明尊は小野道風の孫の小野氏であるし、平等院の鎮守社であった宇治神社と宇治上神社の祭神、 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は、小野氏の祖の和邇氏である。
「小野氏」は、早池峰山の頂きに瀬織津媛が祀られるようになった平安時代初期、小野岑守が陸奥守に任ぜられるなど、蝦夷征伐を行った桓武天皇の後、朝廷の軍縮とともに始まった蝦夷地における懐柔政策と深く関わっていた。
円仁の東北派遣によって地蔵菩薩が恐山の本尊になるなど、蝦夷の地の神仏習合化が推し進められた時期である。
東北の荒神信仰が、境界の神としての塞の神や道祖神と重なっていったのも、平安時代初期の懐柔政策の影響ではないかと思われる。
瀬織津媛というのは、古事記や日本書紀に登場しないので、古事記編纂の時に政治的な理由で封印された縄文の神などと信じられていることも多く、なかには藤原不比等の陰謀で歴史から抹消されたとまで言う人も存在する。
しかし、記紀に登場しない理由は、この神の名が、記紀の編纂時期には存在しなかったからである。
この神は、その名のとおり、瀬や津で織物をする女神となるが、『古事記』に登場する巫女的女性たちは、コノハナサクヤヒメのように、そのほとんどが 水辺で織る存在 として描かれており、瀬織津媛は、それらの巫女的女性の総称と言える。
瀬織津媛は、平安時代の『延喜式』祝詞の「大祓詞」に登場し、ここでは、禊ぎの水によって罪穢れを流す女神であり、「祓戸四神」の首神として、境界を清める役割を担っている。
そして、小野氏の祖である和邇氏の「和邇」は、湖沼・水辺の地名と強く結びついているため、水神・境界神的な背景を持っていた可能性が高く、それゆえ、小野妹子をはじめとする外交や、京都の六道珍皇寺に冥界往来伝説が残る小野篁のような人物が歴史上に多く痕跡を残している。
さらに、境界は地理だけでなく、時間的境界(過去・現在・未来を結ぶ)でもあり、これを媒介するのが「伝承=文学」。その意味で、小野氏から小野小町など文学者が多く輩出されるのは偶然ではなく、境界的役割=時間を結ぶ伝承者の系譜に由来しているのだろう。
地獄で閻魔大王に仕えた伝承のある小野篁もまた、漢詩や歌の才能に溢れた人物であったが、彼の父、小野岑守は、嵯峨天皇の側に仕えて学問を教授する学者であり、814年に成立した勅撰漢詩集である『凌雲集』の編纂に携わった文人だった。その彼が、平安時代初期、蝦夷との確執の残る陸奥に派遣されたのだ。
平安初期の東北では、単なる武力制圧ではなく、蝦夷の山岳信仰や荒神信仰を「国家祭祀」に取り込む必要があった。
その時に「荒ぶる山神」を和らげ、中央的な神格に組み込む「受け皿」として瀬織津媛が選ばれ、そこに小野氏が関わっていた可能性がある。
瀬織津媛という神を、単なる“水の神”や“祓戸神”の枠に収めず、中央の律令祭祀に、古層の巫女祭祀やマレビト信仰を統合する象徴的存在としていったのが、小野氏なのだろう。
古代の巫女は、マレビト(異界からの来訪神)を迎え入れ、交渉し、ときに「犠牲」となって共同体を守る存在だった。彼女たちは「境界」に立ち、自然界の荒ぶる力をも媒介する存在であり、畏れと恩恵の両面を抱えた役割を果たしていた。こうした巫女祭祀はシャーマニズム的とされ、律令国家の統制からとは異質のものだった。
律令時代、こうした巫女中心の祭祀を国家儀礼に置き換える必要があり、その「翻訳装置」として生まれたのが瀬織津媛だったと考えられる。
言い換えれば、瀬織津媛は、律令国家が在地の巫女祭祀を国家の枠組みに取り込むために生み出した象徴の女神であり、「消された縄文の神」ではなく、むしろその逆で、古代の境界巫女の記憶を、中央祭祀に封じ込めた存在であると言える。
しかし、ここで重要になってくるのは、この女神に、古代巫女を象徴する「織物」の名が残されたことだ。
織物というのは、縦糸と横糸で成り立っているが、縦糸は、織り機に張った後は取り替えがきかない。横糸は、その都度、新しい発想で取り替えることが可能。すなわち、マレビトを迎え入れる巫女にとっての縦糸とは、その地域の共同体で大切に守られ続けてきたもの。土地の伝承、祖霊、自然との関係といった、共同体が持続してきた根本にあたる。
一方、横糸は、硬直した社会になってしまわないように、新たな知見や血を入れるということ。外からの異人や、文化と技術、それらを受け入れて刷新する契機が、横糸に該当する。
織物というのは、共同体とマレビト、過去と未来、彼岸と此岸といった、二つの性質の異なるものを一つに編み込んでいく作法であり、だから、その行為が巫女を象徴している。そして、そのように異質と触れる行為は、時に、犠牲を伴う。
「織物」が神に捧げる神聖なものだから神に仕える巫女が織るのではなく、犠牲を覚悟のうえ異なるものを織り重ねる作法じたいが神聖なものゆえ、神に捧げるものとして相応しいのだ。
瀬織津媛というのは、境界を司る氏族であった小野氏が創造した、異質なものを結び合わせる媒介行為の象徴であったのだろう。古事記の中に登場する多くの女性巫女は、小野氏の祖、和邇氏に所属していることが多いのも、それが史実であったというより、古代と新しい時代をつなげる和邇系の小野氏の文学的創造であった可能性が高い。
そして、平安時代初期、蝦夷の地において、「在地の縦糸」に、新しく「国家の横糸」を織り合わせる試みとして、早池峰山に、瀬織津媛が祀られることになった。
実は、この「在地の縦糸」と、新しい「国家の横糸」を織り込んでいくプロセスにこそ、日本文化そのものの真髄がある。
縦糸を、地域共同体が長く守ってきた伝承・自然観・生活の基盤であり、横糸は、異なる世界からの技術、知識、仕組み、この両者が交わって「布=文化」が織り上げられる。日本における文化とは、織物のような「異質なものの結合」であり、「織り続ける営み」そのものと言える。
律令時代に入り、古代の巫女の位相は変わった。そして律令制度に様々な歪みが生じていた9世紀後半の貞観の時代、富士山の大爆発や、各地で大地震や疫病が起きた。これを機に、荒神が備えていた穢れや災いを祓う力は、御霊会となり、これが後の祇園祭となった。
同時に、巫女が備えていた霊力は、文化を織り上げる主体に変容した。
その文化が大きく花開いたのが、平安時代の女流文学であり、紫式部の「源氏物語」は、その頂点と言える。
源氏物語のなかで、瀬織津媛は、この女神の別名の橋媛として登場する。
源氏物語の第45帖、宇治十帖の第1帖が「橋媛」である。本巻の巻名は、薫が詠んだ和歌「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる」に因んでいる。
「宇治の橋姫のようなあなたの気持を察して、舟の棹のしずくに舟人が 袖を濡らすように、私の袖も涙でぬれてしまいました」と薫は詠んでいる。
この歌のなかで、薫が橋姫に重ねているのは、宇治の大君という女性である。大君は、誠実な薫を慕わしく思いながらも自分よりも妹の中君と薫が結ばれるのを願って、薫を拒み通す。しかし薫が、大君の意に反して、プレイボーイの匂宮と中君をつなごうとする。この匂宮の独りよがりの行動に対して、大君は、妹のことを思うあまりに悲嘆して病に倒れ、26歳の若さで他界した。
この女性の自己犠牲的な生涯が、その後の薫の心を呪縛し続ける。大君の面影を追い求める薫は、源氏物語の最後を飾る重要な女性主人公である浮舟に対する報われない愛へと導かれていく。
浮舟は、薫と匂宮という二人の男性からの愛の板挟みとなって苦しみ、川に身を投げて死のうとするが救われ、出家をする。男から愛される存在として男によって支えられてきた源氏物語の多くの女性と異なり、祈りのために生きることを選択する女性として再生する浮舟が、再会を願って尋ねてきた薫を潔く拒む。これが長大なる源氏物語の最後となる。
薫は、世間では光源氏の子と信じられているが、実際は、光源氏の正妻である女三宮と、柏木という光源氏が期待していた男性が密通して生まれた子である。
光源氏の孫の匂宮が典型的なプレイボーイとして女性遍歴を重ねるのに対して、薫は、女性に好意を持たれながら、一般的な男女の恋愛とは異なる、宗教性とも言える深い精神性をパートナーとのあいだに求めているところがあり、そのことによって匂宮のように単純な行動を起こせず、理屈っぽく優柔不断に見える。
紫式部は、こういう男性像を創造したのは、これを触媒にして、大君や浮舟といった女性の精神性を浮かび上がらせるためだろう。
紫式部が文学表現において行ったことは、古代の巫女性を、新しい時代環境のなかに結び合わせる媒介行為であり、まさに、瀬織津媛に象徴されるように、歴史の縦糸と、新しい時代の横糸を織りなす文化的営みに携わった小野氏が行っていたことに通じている。
源氏物語を創造した紫式部の墓が、京都の堀川通で小野篁の隣に築かれていることの謎を解く鍵が、ここにある。
この縦糸と横糸の関係を、象徴的に一言で表したものが、松尾芭蕉が提唱した俳諧の理念、不易流行ということになる。
時代を超えて変わらない普遍的な価値(不易)と、時代の変化とともに変わっていくべきもの(流行)の両方を大切にする考え方。
縦糸がなければ布はほどけてしまうし、横糸がなければただの糸の束。両者が織り合わさって初めて「布=文化」が生まれる。
芭蕉が俳句に見出した不易流行は、日本文化全体の成り立ちを表している。
瀬織津媛は、「境界で異質を織る存在」ということで、流行を取り込む横糸の女神であるとともに、祓戸の神として「罪や穢れを流し去る」ことで、縦糸=根源を守り続ける役割も担う。
この女神じたいが、「不易流行のバランス」を体現している。
瀬織津媛を「カミ」とする早池峰山の麓で継承されてきた早池峰神楽は、修験山伏によって始められ、その後、山麓の村における「神事」として、代々、受け継がれてきた。
この神楽は、氏子や地域の人々にとっては日常生活の安寧・農耕の実り・災厄除けと直結し、その意識が、世代を超えて支える力になっていた。
山や神への畏敬の念が、伝承をやめさせない内的な力となっていたであろうし、舞うこと自体が楽しく、世代を超えて「続けたい」と思わせる力があります。なによりも、「自分たちの祈りの場に参加している」という感覚を共有することが、神楽を今日まで生かし続けてきた。
しかしながら、神楽の継承は、単なる気持ちだけでは不可能なこと。神楽は「口伝」と「身体技法」の積み重ねで伝わる。師匠から弟子へ、「型」や「心」を身体を通して伝える営みそのものが伝承の力。これは文字や記録では補えない「身体的記憶」の力。
子供の頃から神楽の場に加わり、太鼓や囃子、後見などの補助的役割を担いながら、徐々に舞や所作を学んでいくことが必要になる。
さらに、衣装や道具の管理、囃子方、祭礼運営など、村全体が一体化して協力し合うことが不可欠で、このことが、村の求心力となった。
近年では、この神楽が全世界的にも知られるようになり、この神楽に魅了されて通ううちに、遠野や花巻に移住した人々も増えてきた。
彼らの動きは、単なる「文化財の保存活動」ではなく、もっと人間の深い欲求に結びついていると思われる。
都市生活のなかで失われつつある人間と自然の交感。便利すぎる文明社会では感じられない生の手応え、世界の根源とのつながり。そうしたものを回復する回路を求める人が増えてきていることは間違いない。
人間は、右肩上がりの経済成長のように、利便性だけを求めて社会を変えてきたわけではない。
源氏物語の後半の重要人物である薫のように、自らの生き方そのものを変えたいという強い気持ちを抱えながら、明確な目標をもてずに彷徨う期間もあるだろう。
そうした時、身の回りだけを探しても見つからない大事なことが、継承されてきた歴史文化の中に秘められていると気づく。
歴史の継承の重要性は、今の状態に何の疑問も持たない人にとってはわからないかもしれないが、生老病死や天災の宿命から逃れられない人間には、そうした状態の永続は不可能だ。
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