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第1582回 人間の大地、祈りの大地。野町和嘉写真展。

 

 世田谷美術館野町和嘉さんの写真家人生の集大成とでもいうべき写真展が始まり、内覧会に行ってきました。 あいにく猛暑が続く日々ですが、野町さんが撮ったサハラ、ナイル、サウジアラビアなどの地域は、地球上で最も暑い地域ですから、この暑い季節にこそ、世田谷美術館の広大な空間に配置された巨大な写真世界に没入して、自分自身の魂に、生々しい人間の息遣いをサハラの熱風のように浴びることは、日本にいながら、あちらの世界へトリップできる体験となるでしょう。 文明という表向きだけ飾り立てた人工空間で過ごしていると、忘れ去ってしまいそうになる生々しい人間存在のリアリティ。 野町さんの写真は、この文明世界のなかで急速に失われていく人間存在のリアリティを繋ぎ止める強力な力があります。 現代の世知辛い社会においては、人工知能によって人間の仕事が奪われるといった処世レベルでの議論が盛んに行われていますが、人工知能と人間の違いは、その程度のところにあるのではないです。
 野町さんの写真の中に超然と存在する人々は、この10年、100年という短い時間の分別を無化する生々しい人間存在のリアリティを伝えてきますが、その人間存在のリアリティの要にあるものは何なのか?
 それを一言でいうなら、祈りということになります。
 人工知能と違う人間であることの証は、真摯な祈りに尽きる。
 食べて寝るという生物的な本能を超えた、人間ならではの祈りのエネルギー。人間が生み出す文化の根底には、この祈りのエネルギーがある。
 そして、同時に、なぜ人間は、これほどまでのエネルギーを投入して、祈り続けるのか?
 そもそも人間の祈りとは一体何なのか? 
 野町さんは、若い頃から、このテーマをひたすら追い続けてきました。
 今回の写真展のテーマは、「人間の大地」ですが、言い換えるならば、「祈りの大地」ということにもなります。

 祈りは、時に、不可能だと思われることを可能にする。祈りは、まさに奇跡の力。
 今日の世界には宗教がらみの争いがあまりにも多すぎて、純粋な祈りでさえ「宗教的」とくくられて胡散臭く見られる傾向もありますが、宗教的な争いごとの背景には、大国の利権や権力争いや我欲や自己保身が関係しており、純真な祈りは、それらとは真逆のところにあります。
 野町さんが撮影した真摯なイスラム教徒と、イスラム原理主義者はまったく別物であることは、写真を見ればわかる。
 野町さんは、イスラム世界だけでなく、エチオピアチベット、ペルーなどの場所で、そうした人間の真摯な祈りの姿と向き合い、写真家人生の大半を、そのことに捧げてきました。
 その活動を支える力は、祈りが失われていくことによって空疎になっていく文明社会の人間精神に対する懸念や憂慮が、非常に大きかったのではないかと思われます。
 野町さんと同じように、今日の文明社会に対する懸念や憂慮を抱きながら、壮大なる人間模様を神話的に描き出した世界的な写真家として、セバスチャン・サルガドがいます。
 サルガドの写真は、現代の地球上の有様を通じて、聖書の世界を現出しているようなところがある。
 人間模様を写真で伝えながら、その神々しさ、壮大さといった面で、20世紀後半から21世紀前半にかけての世界を代表する写真家といえば、サルガドと野町さんということになるでしょう。
 テーマは非常に似ているこの二人の写真は、西洋と東洋の文化的背景の違いなのか、興味深い違いがあります。
 私は、この二人の写真を、風の旅人の第13号の「生命系と人類」という特集テーマの中で一緒に掲載しました。
 サルガドの写真というのは、喩えるならばベルサイユ宮殿の庭園のような美しさ。均整を保つために隅々まで丁寧に刈り込まれ、少しも緩みがない。
 それに比べて野町さんの写真は、京都の苔寺の庭園の美。アップルのスティーブ・ジョブスが、日本に来る時には必ずここを訪れました。
 ベルサイユ宮殿の庭園が、「人間の理性で制御したもの」であるのに対して、苔寺は、人の手を加えてはいるものの、対象を管理せず、おのずから滲み出てくるものを重視している。
 何が違ってくるかというと、整然としたベルサイユ宮殿の庭園は、毎日、同じように見えることが前提になっているのに対して、あえて不完全なところを残す苔寺は、季節の変化だけでなく、視点が移動するたびに景色が変化し、終わりなき体験が得られるようになっている。
 ベルサイユ宮殿の庭園美は、見事だけれど、毎日見ていたら飽きてしまう。一方、苔寺は、毎日見ていても新しい発見がある。
 これと同じで、サルガドの写真というのは、時々、写真集を開くと、やっぱり凄いなあと感嘆することになるのですが、毎日、見るようなものではない。
 それに対して野町さんの写真は、苔寺のように、何度見ても新たな発見があり、飽きない。
 おそらく私は、野町さんの写真をもっとも数多く見てきた一人です。
 外に発表された写真集や写真展を見てきただけでなく、風の旅人で、今回の世田谷美術館の写真展で展示されている地域の全てを特集しましたが、その都度、何百枚という数のポジフィルムをルーペで覗き込んで、選択して、編集構成していました。
 紙面は、いつもだいたい20ページくらいと限りがあるので、選択した写真は、実際に見た写真のごく一部でしかありません。
 さらに、35mmのポジフィルムをルーペで覗き込んで選択する作業は、写真に対する集中力がものすごく高まるので、その画像が記憶の深いところに刻まれるのです。
 だから今回の写真展も、自分の記憶にない写真は一枚もないだろうという感覚で、展示を見始めました。
 しかし、これまで何度も何度も見たことがあるはずなのに、途中から、写真に没入していったのです。
 野町さんの写真の魅力は、多くの人が感じているスケールの大きさや、神々しさだけでなく、時々、緩みが感じられるところにあります。
 2003年4月に発行した風の旅人の創刊号の巻頭特集の最初の1ページに見開きで掲載したチベットの雪の中の僧侶たちの写真。
 この写真は、同じ場所で、ほぼ同じ瞬間に、ナショナルジオグラフィックの専属写真家だったマイケル山下も撮っていました。
 そのマイケル山下の写真は、全ての僧侶たちが、まるで軍隊のように整然と並び、姿勢を整えている姿だった。
 それに対して野町さんの写真は、よそ見をする僧侶がいたり、「さぶいよー」と身をすくめている僧侶がいたり、隣の僧侶と無駄話をしている僧侶がいたりして、一人ひとりを確認していくと、多種多様で非常に面白い。
 にもかかわらず、全体としては、極寒の厳しさや、祈りの厳粛さが神々しいまでに伝わってくる。
 同じ場所に同じ時間にいた、世界を代表する二人の写真家が撮った写真が、これほどまでに違うのかと非常に興味深かった。今から20年も前のことですが、鮮明に覚えています。
 そして、このことは、人間の在り方として、非常に大事なことです。
 今の世の中、全体を統一して個々の固有性を打ち消してしまうか、個々の違いや権利を尊重するあまり全体のことを気にかけないのか、どちらか一方になりがちなのですが、みんなが大切にすべきことを真摯に考えて共有しながらも、一人ひとりの人間は違っている方が面白くて味わい深いという視点。
 祈りが、集団の狂気のように悪しき方向に行ってしまうかどうかの瀬戸際もここにあると思います。
 野町さんは、人間の強靭な祈りの力に対して深く心を惹きつけられながら、同じ人間が力を抜いた時の、優しさやほほえましさも、人間にとって大切なことだという認識を忘れていなかった。
 この二つの人間性がバランスよくとらえられているのが、野町さんの写真の魅力なのだと思います。
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野町和嘉―人間の大地
2025年7月5日(土)~8月31日(日)
10:00~18:00(入場は17:30まで)
休 館 日:毎週月曜日 ※7月21日(月・祝)、8月11日(月・祝)は開館。7月22日(火)、8月12日(火)は休館
世田谷美術館 1階展示室




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