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第1579回 ヤマトタケル神話と、八角墳の背後の真相。

ヤマトタケル蝦夷鎮圧の拠点、朝日山に鎮座する吉田神社茨城県水戸市

今年の5月に東北の古代巡礼の旅をした時、最後の訪問地としたのは茨城県水戸市吉田神社と吉田古墳でした。
 なぜこの場所なのかというと、ここが、神話のなかでヤマトタケル蝦夷鎮圧の拠点となっているからであり、さらに、そのすぐ近くに、八角墳の吉田古墳が築かれているからです。
 八角墳は、律令制が開始する時期に全国で13基だけ作られた古墳で、近畿圏に8基、関東に5基だけ現存しています。
 近畿圏の八角墳は、天武天皇持統天皇の合葬陵、天智天皇陵、斉明天皇陵、舒明天皇陵、草壁皇子陵、文武天皇陵といった王族の御陵と、鳥取と宝塚に被葬者がわからない2基がありますが、関東の5基は、武蔵国(東京)、甲斐国(山梨)、上野国(群馬)の国府があった場所の近くと、常陸国の群家だった水戸です。
 これらの関東の八角墳の場所は、興味深いことに、水戸の吉田古墳と同じくヤマトタケル伝承の残る場所か、ヤマトタケルの母親の和邇氏の後裔の「小野氏」の関連地なのです。

群馬県吉岡町八角墳、三津屋古墳の近くに橘山があり、ここは、ヤマトタケルが「橘姫恋し」と弟橘姫の冥福を祈った場所。山梨県笛吹市の経塚古墳の近くには、ヤマトタケルの火打石の袋が御神体酒折宮があります。
 そして東京の聖蹟桜ヶ丘にある稲荷塚古墳の近くに、武蔵国一宮の小野神社が鎮座しており、群馬県藤岡市の伊勢塚古墳の近くが現在でも小野郷です。
 律令制が始まる頃に築かれた八角墳は、この時代の王族の墓であるとともに、関東地方において、ヤマトタケルや小野と関わる場所に築かれていることから、律令制による国内の統治とヤマトタケルの神話がつながっており、その精神的操作に、和邇氏の後裔の小野氏が関わっていることが洞察できます。
 これはすなわち、ヤマトタケル神話というのが、一般的に考えられているような西暦3世紀とか4世紀の出来事ではなく、八角墳が築かれた7世紀後半から8世紀前半の律令制開始時期のビジョンと関わっている可能性が高いということです。

吉田古墳(茨城県水戸市)。日本にある13基の八角墳の一つ。

神話というものは、起きた出来事を記録しているのではなく、大事なことを後世に伝えるために表現しています。
 だから、たとえばヤマトタケル伊吹山の神に挑んだ結果として病に倒れて死んでしまうという描写に対して、伊吹山の神とは何なのかが色々議論されますが、そんなことよりも大事なことは、それまで順調だったヤマトタケルの活動の歯車が、なぜ狂ってしまったかを考えることです。
 そのためには、ヤマトタケルの活動の裏に隠された神話の作り手の意図を読み直すことが必要になります。
 一般的にヤマトタケルの神話は、文明世界による野蛮世界の掃討であるとか、ヤマト王権による全国の軍事支配を象徴している物語だと受け止められていますが、真相は、果たしてそうでしょうか?
 まず、ヤマトタケル熊襲征伐は、兵を引き連れて力づくで戦ったわけではなく、美しい女性の姿に変装するという方法がとられています。
 その後、ヤマトタケルは、父・景行天皇の命によって東国の蝦夷征伐へ派遣されますが、その際、駿河で敵方の罠にかかり、野に誘い出されたヤマトタケルは火を放たれて包囲されますが、倭比売命から授かった草薙剣で草を薙ぎ、火打ち石で逆に火をつけて敵を焼き払う。
 草薙剣は、スサノオヤマタノオロチを倒した際、その体内から出てきた剣。文明の象徴というより、どちらかといえば、「神話の時代の、荒ぶる自然神とつながる祭司道具」です。火打石も、古代、呪術的な魔除けの力を持つとされていた。つまり、ヤマトタケルが用いた道具は、古代の自然神話世界と深くつながったものです。
 さらに、東に進んだヤマトタケルは、現在の神奈川県の浦賀水道での海上航行中に暴風雨に遭遇しましたが、その際、妻の弟橘比売命が海神の怒りを鎮めるために入水自殺し、海を鎮めた。
 これは、海神の怒りを鎮めるための人身御供であり、スサノオが退治した八岐大蛇に対して、それまで毎年、娘を差し出していた時の構造と同じです。
 そもそも、『日本書紀』によれば、ヤマトタケルの父、第12代景行天皇の前の第11代垂仁天皇の時に、それまで王族の葬送に際して行われていた殉死を、野見宿禰の進言によって廃止し、埴輪が代替されるようになったと記録されています。
 このことは、スサノオによる八岐大蛇退治と同じく、古代的な呪力を排除し、制度と形式による統治へと移行したことを伝えている。
 しかし、ヤマトタケルの物語は、この「文明化」の流れに逆行しています。
 ヤマトタケルを守護していたのは草薙剣でした。この霊剣を、伊吹山の神退治の際に、尾張の国造の娘・宮簀媛命に預けてしまったため、毒気にやられて病に倒れる。
 このエピソードは、きわめて示唆的で、単なる英雄の「失敗談」ではなく、草薙剣の霊力と象徴性を際立たせるための演出であると解釈できます。
 草薙剣は、スサノオが八岐大蛇を退治した際に、その尾から出現した剣です。八岐大蛇は、単なる怪物ではなく、水害や氾濫など自然災害の象徴とも解釈されており、草薙剣は「文明の利器」ではなく、むしろ自然の霊力と関わる神器であるとも言えます。
 ヤマトタケルは、伊吹山の神を「自分の知恵や武勇だけで退治できる」と判断した結果、自然の毒(=霊的な穢れ)にやられて倒れたのです。 
 草薙剣という霊剣を持たないことによるヤマトタケルの死は、人間の知性や理性や武勇だけでは制御できない力の存在を示しています。
 ここで、律令制開始時期の直前に、日本にどんなことが起きていたかを『日本書紀』で確認すると、まるで聖書の黙示録のようで、彗星をはじめとする天の兆しとともに、南海トラフ巨大地震や、浅間山とみられる大噴火のこと、それに伴う混乱、飢餓、病などが次々と記録されています。
 こうした自然の猛威と、それに対峙するための国の在り方を念頭に置きながら、古事記の編纂者は、神話を創造したのでしょう。
 ヤマトタケル神話は、ヤマト王権の全国支配の軌跡などではありません。
 ヤマトタケルの物語の前に、スサノオによって八岐大蛇が退治されたり、第11代垂仁天皇によって殉死が廃止されたりと、いったんは、古代の呪術性よりも人間の知恵や理性を優先する状況が出来ていたにもかかわらず、そうした「万物の尺度を人間に置く」という傾向が強くなりすぎることに足止めをする必要性が出た。「古代性への回帰」を示すヤマトタケル物語は、そのことを伝えているのです。
 律令制が始まる頃、持統天皇元明天皇元正天皇という女帝が続きました。一般的には、文武天皇聖武天皇が幼かったゆえのつなぎであったと説明されていますが、果たしてそうなのでしょうか?
 近年の研究では、文武天皇が即位してからも持統天皇が、聖武天皇が即位してからも元正天皇が、さらに聖武天皇の皇后の光明皇后が、実質的には政務において重要な役割を果たしていたという説が浮上しています。
 ヤマトタケル熊襲征伐において、タケルは、美しい女性の姿に変装しましたが、古代において「異装(女装)」は、単なる性の倒錯ではなく、神霊を降ろすための仮装=シャーマニズム的行為でした。
 そして、 ヤマトタケルの東征の時に、弟橘媛が海に身を投げて海人の怒りを鎮めましたが、古代の巫女は、共同体の「罪と痛みの肩代わり」であり、「罪と痛みの受け皿」となるため犠牲となりました。
 ヤマトタケル自身も、悲劇の英雄と位置付けられるように自己犠牲的な存在です。
 西の熊襲征伐を終えたら、東の蝦夷征伐を命じられ、最後には伊吹山で病に倒れ、国に帰れないまま望郷の歌を詠んで、亡くなり、その魂は白鳥となって彷徨います。
 古代の人々は、「鳥」を死者の魂の象徴あるいは「魂を運ぶもの」とみなしており、亡くなったヤマトタケルの魂が白鳥に重ねられていることからも、古代性の回帰が示されているのです。
 すなわち、ヤマトタケルの物語は、「文明が野蛮を征伐する話」ではなく、呪術的・巫女的な力を、再び呼び戻す物語であることが感じられます。
 だとすれば、そのヤマトタケルに征伐される熊襲蝦夷は、未開の非文明的世界なのではなく、むしろ逆であった可能性が高い。
 熊襲は、南九州における独自の文化・鉄器生産・航海技術を持った勢力で、東国勢力もまた同じです。
 日本書紀には、壬申の乱において、大海人皇子(後の天武天皇)は、東国の武力支援を得ることで戦いに勝利できたことが記録されていますし、考古学的にも、古墳時代後期において、古墳から出土する甲冑や馬具といった武器類は、関東や九州の方が、近畿よりも遥かに多かったことがわかっています。
 ヤマトタケルは、朝廷の命令で九州や東国を鎮めるために派遣されますが、それらの地域を鎮めることの意味は、武力で制圧するということではなく、むしろ逆で、人間の知性や理性や武勇だけでは制御できないものがあるという思想を、日本各地に浸透させる必要性が、その当時の日本の状況において起きていたということです。
 律令制というのは、奈良の天皇が、全国を武力的に支配する国家体制ではありません。
 斑鳩法隆寺を基点とする聖徳太子信仰もまた、実は、この時期から始まっています。聖徳太子の姿そものとされる救世観音を安置している法隆寺の夢殿(738年に建造)と同じ八角形の古墳が、この時期に作られたのも、この八角形が、「和をもって尊し」というビジョンを反映しているからです。
 仏の台座である蓮華台が八角形であるように、仏教では、八方向(東・西・南・北・東南・西南・東北・西北)を「八方」と呼び、これが世界の全体性・普遍性を象徴します。
 八角形はこの「八方」を視覚的に表現したものであり、仏の教えがあらゆる方向に及ぶことを意味します。
 ヤマトタケルの東西への遠征は、この仏教のビジョンを、神話的に表現したものだと思われます。
 スサノオによって退治された八岐大蛇は、悪の権化ではなく、スサノオが象徴する文明の分別により、いったんは排除されていた自然界の力であり、その霊性を備えたものが草薙剣
 ヤマトタケルは、その草薙剣を大切に身につけていた時には、その力によって守られていたのだけれど、自分の力だけで何でもできるという気持ちになった時に、草薙剣を手放してしまった。ヤマトタケルの死は、そのようなかたちで人間が陥りやすい傲慢さの結末であるとも言えます。
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京都と東京でワークショップを行います。
<京都>2025年7月26日(土)*キャンセル待ち、7月27日(日)
 *亀岡のフィールドワークを予定。
<東京>2025年8月30日(土)、8月31日(日)
*いずれの日も、1日で終了。
 詳細、お申し込みは、ホームページでご確認ください。
https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/
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新刊の「かんながらの道」も、ホームページで発売しております。

ヤマトタケル蝦夷鎮圧の拠点、朝日山に鎮座する吉田神社茨城県水戸市
ヤマトタケル蝦夷鎮圧の拠点、朝日山に鎮座する吉田古墳の境内に、ヤマトタケルが腰掛けて休んだとされる石がある。



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