SNSを開くと、実に多くの人が、セバスチャン・サルガドの死について言及している。
写真というジャンルを超えて、いろいろな分野の人が強く関心を持つ写真家というのは、今ではほとんど存在しなくなった。
また、何の説明もなく、ただ写真だけを見て、強烈な印象と、深い感動を与え、さらに思考を外へと開く力がある写真は、めったに見られなくなった。
コンセプトやテーマをなぞっているだけの写真や、AIやフォトショップをいじって目新しいものを狙った写真ばかり氾濫しているが、それらは思考を内に閉じ込めるばかりだし、数年後も記憶に残り続ける写真は、そのなかには存在しない。
サルガドの写真は、一度見たら忘れられない強烈な力と、崇高なる美しさがあり、その美しさに見惚れてしまうだけでなく、新たな視点や、新たな思考のとっかかりになる。
あまりにもドラマチックなため、絵画的すぎるから嫌いだと批判的な人もいるが、サルガドは、現代フォトアートのジャンルのような作り込みをして撮っているわけではないし、後付けで加工しているわけではない。彼の写真はドキュメントなのだから、私たちが生きているこの現実世界の真相を、彼は写し撮っているだけである。
不思議なのは、シャッターを押しさえすれば写る写真は、奇跡の一枚ならば誰にも可能性があるが、サルガドの場合、全ての写真が、奇跡の一枚になっていること。なぜ、そういうことが可能なのか、本当に不思議でならない。
私は、風の旅人の誌面上で、二回、サルガドの作品を紹介した。
一回目が、2004年8月1日に発行した第9号の「人間の領域」という特集において24ページ。二回目が、2005年4月1日に発行した第13号の「生命系と人類」という特集において20ページにわたって。
なかでも二回目の第13号では、サルガドがプロジェクトを進行中だった「GENESIS」のガラパゴスとアフリカの写真を紹介したのだが、同じ頃にParis Matchというフランスの雑誌が4ページほどガラパゴスの写真を紹介しただけで、20ページにわたってサルガドの新プロジェクトを紹介できたのは、風の旅人が世界で最初だった。
GENESISが写真集となったのは2013年だったので、それよりも8年早く、サルガドのGENESISという取り組みがどういうものか、風の旅人で紹介することができた。このプロジェクトは、人間のドラマティックな写真を撮る写真家として世界的に著名なサルガドが、はじめて、人間以外を被写体にするプロジェクトだった。
この頃、サルガドは、パプアニューギニアで取材中だったので、パリに在住していた奥さんに新作の掲載依頼をすることになったのだが、未発表写真ばかりだったので、けっこうナーバスになった。
この掲載が風の旅人で初めての紹介であればダメだった可能性が高いが、前年に「人間の領域」をいうテーマで24ページの枠で掲載を行っており、その内容を気に入っていただけたのだと思う。
第9号も第13号も、巻頭が白川静さんの直筆の原稿からはじまり、サルガドの写真がそれを受けるという形になっている。
第13号の時、小説家の梨木香歩さんが、白川さんの言葉とサルガドの写真の組み合わせが圧巻であると、毎日新聞の書評で紹介してくださった。
生物を撮る写真家は、世界中に無数に存在するが、サルガドが撮ると、何故にここまで神々しいのだろう。
神の眼差しという言葉を使うと大袈裟かもしれないが、GENESISにしろ、EXODUSにしろ、過酷で救いようのない人間世界と、人間という枠組みを無化した惑星へと回帰する眼差しは、一人の人間意識のなかには収まらない超然性があり、彼の写真を観る人のほとんど全ての人が、それを感じるだろう。
サルガドの撮影スタイルは、獲物を狙うように徘徊しながらシャッターチャンスを逃さないという類のものとは異なる。
サルガドは、ガラパゴスでゾウガメを撮る時の方法を次のように語っている。
「カメをうまく撮るためには、カメと顔見知りになり、向こうの波長に合わせることが必要だ・・・・・。カメと同じ背丈で歩き、カメの動きに合わせて前に進んだり、後ずさりしたりして、カメに「わたしはお前の領分を尊重しているんだ、ということをわかってもらうのにまる一日かかった」
良い写真を撮るためには、シャッターを切る量が重要だと主張する写真家もいる。
カメラを持った哲学者である鬼海弘雄さんは、癌との闘病の時も、枕元には文学本が積まれていたし、取材中も、カメラを持っていない時間の方が長く、「やみくもにシャッターを切っても、何にも写んねえもんだよ」と、たびたび口にしていた。
数多くシャッターを切れば、そのうち一枚くらいはいい感じの写真が写っているだろうという底の浅い考えは、サルガドや鬼海さんには当てはまらない。
相手を尊重すること。言葉でいうのは簡単だが、尊重するということが、果たしてどういうことなのか。
言葉では、そのことをうまく説明できないけれど、サルガドや鬼海さんの写真を見れば、尊重することの真意が、とてもよく伝わってくる。
世界が発する声に対して、どれだけ耳を傾けているかが、写真には、現れてくる。だから、写真が、人によって、こんなにも違ってくる。カメラを構えていない時の心の持ち様、思考、姿勢、行動で、90%くらい決まってくるのだろう。残り10パーセントの絶妙のタイミングも、向こうからやってくるというより、自分から呼び込むものなのだろう。