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第1542回 2800年の時空を超えた精神の冒険

 

 下北沢のスズナリ劇場で、小池博史さん演出の「Soul of ODYSSEY」を体感した。
 これは、約2700年前に創造されたホメロス神話の「オデュッセイア」をもとにした舞台だ。
 同じホメロス神話でも、約2800年前に創造された「イリアス」では、ゼウスやポセイドンなどの神々が人間の問題に干渉したり、戦いに参加したり、人間は自らの主体性よりも、神々の声によって動く。
 それに対して「オデュッセウス」は、一人の男が、運命と大自然、そして化け物や魔女に翻弄されながら、最愛の妻のもとに戻るための旅を続け、妻も、求婚者たちの横暴に苦しみながら、夫の帰還を信じ待ち続ける。
 これは、試練を乗り越えるという主体的な意思をもった人間の物語だと言うことができる。

 どうやら、イリアスからオデュッセウスのあいだの100年たらずのあいだに、人間意識の分岐点があった。
 小池博史さんは、このオデュッセウスの舞台を、「火の鳥プロジェクト」の一環として制作したいと考えたようだが、途中から、なぜ「火の鳥プロジェクト」で「オデュッセイア」なのか、判然としなくなっていったのだという。
 しかし、小池さんは自らのプロジェクトの名称に、自分自身をひとことで表す言葉を付け加えたくなって選んだ言葉が、「ODYSSEY」であり、その理由は、小池さん自身が、40年以上、主体的な意思をもって、様々な試練を乗り越えながら、人間存在の根元に回帰しようと試みる人生を送ってきたからだ。
 人間存在の根元とは、原初的な人間と世界の関わりであり、空間、時間、身体が一つに融けあった状態である。永遠の今を生きるという言葉に置き換えてもよいだろう。
 分別を持ってしまった人間は、世界を分節化して、時と空間と身体のあいだに境界を作ってしまった。
 現代という時代が、これまで堆積してきた長い時間性や空間性のことには無関心で、あまりにも「現在」の保持と未来への渇望ばかりとなり、過去と現在と未来が一繋がりの時空のなかに存在しているという感覚を失っていることへの問題意識を持つ小池さんは、「静寂」も「喧騒」も「平穏」も「狂気」もすべて背中合わせにあるとみなし、それらを一度にどっと入れ込んで、世界を掻き回しつつ、境界線を破り、向こう側の世界を垣間見せたいと長年考えてきたと言う。
 小池さんが、背中合わせだと考える時空のスケールは、広大無辺であり、それは、これまで取り組んできたプロジェクトを見れば明らかだ。
 インド古代叙事詩マハーバーラタ」、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」、「銀河鉄道」など宮沢賢治シリーズ、そして、このたびの「Soul of ODYSSEY」は、次の「火の鳥」への布石となる。
 これらの壮大な時空を、限られた舞台空間のなかに生み出してしまうところが、小池芸術の真骨頂だ。
 このたびの「Soul of ODYSSEY」は、複数の言語と文化が共存するマレーシアのパフォーマー達とのコラボレーションである。
 マレー系、中国系、インド系、ドゥスン系、そして日本という多様なルーツを持つ彼らが、マレー語、英語、タミール語、中国語、日本語を発し、身体表現も、舞踏、バレエ、能、武道など、それぞれの特徴を発揮している。音楽もまた、南インドの古典、和太鼓、ポップス、ラップなどが渾然一体となっている。
 それら一人ひとりの鍛え抜かれ磨き抜かれた技が完璧だと思えるほど、素晴らしい。その技の力は、1+1が2ではなく、3にも4にも無限に広がっていき、異なる大きさと多彩な形の石が組み合わさった石垣のように見事なブリコラージュを実現している。
 そのように驚くべき多種多彩な芸能や芸術が複雑に組み合わさって展開していくのだが、空間は、時に能舞台のようにシンプルに深遠であり、また嵐の海の航海は、荒れ狂う波に翻弄される船が一本の縄で表現されるが、その様は、まるで荒々しい祭りのようである。
 美術も照明も衣装も仮面も小道具も、全てがその役割を見事に果たし、どのシーンを切り取っても神話性と歴史性を包含した叙事詩の中の心理ドラマを凝縮させた一枚の絵画のようであるが、それらがどこまでも連続して途切れることなく連続して展開していくところが素晴らしい。
 これは、現代の舞台表現であるが、私は、小池さんは、現代の観阿弥世阿弥だと感じた。
 能役者の今井さんが小堤を打ち鳴らし、吟じる時、舞台は、幽玄を帯びた空間となるが、その時、向こう側の世界とこちら側の世界の境界が完全に消えてなくなる。
 観阿弥世阿弥は、もともと台詞芝居だった猿楽に、田楽の舞いを融合させ、これが新しい芸術としての能となったわけだが、舞いを導入することで、台詞芝居では分断されていた彼岸と此岸のあいだに橋がかかり、観る者は、二つの世界を自然に行き来することになった。
 小池さんは、現代の台詞演劇は、古臭いと嫌っていたようだが、言葉に依存しすぎた現代人の在り方も古臭いと感じているはずだ。
 身体性なくして、人間存在の根元に回帰することなどできず、その回帰こそが、未来の扉を開く鍵となる。
 舞台芸術の可能性はそこにあり、その可能性は、とてつもなく大きい。
 「Soul of ODYSSEY」は、わずか1時間45分の舞台表現だとは思えないほど、ありとあらゆる魅力が凝縮されている。
 腹にずしんとくる深さがあるが、実に美しくて、幻想的で、想像力をかき立て、時に愉快で、楽しく、目眩く時空に浸ることができる。
 小池さんは、オデュッセイアのように、自らの主体的な意思で行動し、様々な試練を乗り越え、自らの存在意義を獲得する冒険の旅を続けながら、その圧倒的なエネルギーの渦に観る者を巻き込み、人間存在の根元へと回帰させる作品を、途切れることなく、世の中に送り出し続けている。
 途切れることなくというところが肝心であり、それこそが、まさに、歴史と一体化したエネルギーの流れなのだから。 ________
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