新宿のOM SYSTEM ギャラリーで開催中の「かんながらの道」写真展。期間の半分を終了。今日の火曜日と明日の水曜日は休館で、13日(木)から再開です。
https://note.jp.omsystem.com/n/nef782674b1cc?magazine_key=mf329d1da0f83&fbclid=IwY2xjawIX5LtleHRuA2FlbQIxMAABHXJY6I3qqhAlg49l2T26F-a-1Rv7PaJdJcD4BN-JsKvD5f6r9B-ItleOMQ_aem_IQIPyRZtiA5Vycxq5dsD1w
15日(土)と16日(日)は、午後3時からトークを行います。
内容は、針穴写真による表現と古代世界や日本文化との関わりに関するものとなります。
一昨日の9日(日)、映画監督の小栗康平さんを招いて、対談を行いました。
こういう写真展の場で、写真家や評論家や歴史学者ではなく、映画監督の小栗康平さんと対話をしたかったのは理由があります。
私は、そもそも「写真ジャンル」や「歴史ジャンル」に閉じた世界で物事に取り組んだり、語り合ったりすることに関心がないからです。
私は20歳の時、大学を辞めて2年間ほど世界を放浪していた時、パリで小栗監督の「泥の河」に出会い、強く心が惹かれ、日本に帰ってからも小栗さんの著書の「哀切と痛切」を読み耽り、次作の「伽耶子のために」から「死の棘」、「眠る男」、「埋もれ木」という小栗作品に没頭しました。
なにゆえに、これらの小栗作品に惹きつけられたのか、特に深く考えてはいなかったのですが、今、針穴写真で日本の古層と向き合い続けているなかで、わかってきたことがあります。
「泥の河」では、岸辺で暮らす住民の世界と、「廓舟」という世間からは白い目で見られている世界が描かれています。岸辺の住民の子は、親から、あの船には近づくなと言われているけれど、子供は純真な好奇心で船に近づき、船で暮らす子供と仲良しになる。
二人の子供が、こちらの世界と、あちらの世界のあいだに架ける橋のように交わるのだけれど、やがて船は、岸辺を離れて去っていく。はかない船は、まるで、あの世への渡し船のようで、純真な子供達の束の間の出会いと別れ、その繊細な心の揺らぎが、小栗映画では丹念に、小栗さんの息遣いのように描かれている。
この映画と出会った頃の私は、大学を辞めたことによって、どこにも所属先のない根無し草の存在で、旅人であるにもかかわらず、旅先で出会う日本人に、「あなたは日本で何をしている人なのか?」「あなたはなんの目的で旅をしている?」「あなたは、旅を終えたら何をするのか?」などと問いかけられ、いつも答えに窮して、自らのアイデンティティの無さを辛く感じさせられていました。
多くの日本人は、どこかに所属先を得ることで、それを自らのアイデンティティとしているけれど、私は、そういう所属先によって自らの人生が方向づけられてしまうことが厭で、だからといって、どうすべきなのかわからないまま旅を続けており、そういう狭間の存在である自分と、「泥の河」に流れている悲しみが重なりあったのかもしれません。
そして、「泥の河」という映画の作り込み方に、小栗監督の心の内側を感じ取って、小栗さんの著書も読み耽っていたのだと思います。
私の受け取り方は、それほど間違っておらず、小栗さんは次作の「伽耶子のために」においても、在日朝鮮人の青年と、日本人の両親のあいだに生まれながら両親に捨てられ朝鮮人の男性に拾われて育てられた少女との恋を通して、二つの異なる世界に架ける橋を描きました。
在日朝鮮人の青年は、親から「日本人の女性とは付き合うな」と言われていたけれど、そうした古い世界の価値観を脱却して生きたいと願っていた。
この青年と少女の恋は、「泥の河」で描かれた二人の子供の関係のように、とてもはかなく、結果が悲しみに満ちたものであったけれど、その魂の交流は、映画を見た人の心に永遠に生き続けるものとなったのです。
次作のカンヌ国際映画祭のグランプリを受賞した「死の棘」は、夫婦の愛をめぐる物語だけれど、妻は、純真で激しすぎる愛ゆえに、狂っていく。その妻の狂いに従うことになる夫。世間的にどちらが「まとも」なのかといった基準は関係ない。
この妻にかぎらず、一心不乱に何かに打ち込んでいると、ある種の狂人扱いをされて、警戒心を抱かれて、距離を置かれるということがある。
そのように、狂とのあいだに線引きをしている人たちは、自分は「まとも」な側にいると安心している。
小栗さんは、この映画を、完全なる人工セットの空間で大半のシーンを撮りました。空の色も人工のものであり、敢えて虚構世界のなかで進行していく物語として作り込んでいます。
妻の台詞も、口寄せ巫女が発する言葉のようであり、こうした現実感覚と遊離した状況設定を行うことで、まともな世間の現実からは「狂」として処理されてしまう世界が、人間の偏狭な自己を超越した世界から見れば、自然(じねん)で、まともなのではないかと感じられてくる。
小栗さんは、次の「眠る男」では、じっと寝たままの植物人間の男性を主人公にしました。
主人公は、生きているけれど、いっさい動かない。動いていくのは、周りの人たちの営み。しかしその営みは、季節のめぐりと重なっているので、人間たちが自らの意思で動いているというよりも、大きな循環世界で生かされている。そうなってくると、植物人間の男性は、じっと動かない巨木と何も変わらない存在になってくる。その巨木のまわりに、よってくる動物たちや虫たちがいるように、周りの人々が存在している。
小栗さんは、処女作から「死の棘」までは、自分自身が心惹かれた小説を題材にして映画を作っていましたが、この「眠る男」からは、オリジナル脚本の映画となりました。
次の「埋もれ木」でも二つの世界の交流が描かれています。少女たちは、自らが物語を編んでいき、未来に向かう存在として描かれている。それに対して、大人たちの会話は、現実に縛られており、過去向きだ。しかし、ある日、この町の地下に古代の埋没林があることがわかり、遥かなる時間を超越した世界を通して、大人の世界と少女たちの世界が重なりあっていき、カーニバルが行われる。
「目の前の現実」の壁によって隔てられた二つの世界は、その二つの世界を超越する悠久の時の流れから眺め渡すことで、対立するものでなくなるのです。
小栗さんの次作の「FUJITA」は、西洋世界で最も評価された日本人画家であった藤田嗣治が軸になります。彼の絵は、当時、日本の画壇に有象無象のごとく存在していた西洋絵画の追随者たちのものとは大きく違って、日本古来のセンスが息づくものだった。
しかし、この藤田嗣治が、太平洋戦争期間中にプロパガンダの絵画を描いた画家たちを代表する存在として、戦犯の罪を一人で被る形になった。
確かに藤田は、激戦の戦地の絵画を描いていますが、それは、どのように見ても戦争の悲劇を伝えるものであって、安易な手法で日本人を戦争に駆り立てるようなものではなかったにもかかわらずです。
卑怯な画壇の大物たちは、のうのうと戦犯の罪をカムフラージュして、戦後の日本絵画界を、その権威によって牛耳る輩たちとなった。
そうした輩たちや、彼らを先生と祭り上げて、自らも画壇の階段を登っていくことを目論む画家気取りの中からは、藤田のように、真の意味で西洋と日本の架け橋となる作品を生み出した者は出ておらず、はっきりと言って、不毛です。
小栗さんは、一貫して、「まともだと信じこまれている世間の基準」において引き裂かれてしまっている二つの世界のあいだに、結果的に儚く散る可能性が極めて大きいけれど、祈るような気持ちで橋をかけようとして映画を作ってきたように私は感じ取っています。
しかし、こうした小栗さんの映画に対して、「わからない」とか「暗い」などという安直な表現で切って捨てようとする評論家も存在するのです。
なぜわからないのか? 理由は簡単なことで、彼らには、境界に立つことの心の揺れや、悲しみや、祈りが通じないからなのであって、それは、彼らが、世間の中で線引きされた囲いの中に安住の場所を見つけ出して、そこから外に出る勇気も心意気もないからでしょう。
学校や企業や官僚や表現団体などの権威組織のなかにポジションを得たり、その後ろ盾を得て、それを利用して何かをやろうとしたり、そのうまみを得ることに慣れた精神では、小栗映画を理解できないのは当然です。
問題は、それら権威に安住する輩の言葉を鵜呑みにする人たちが世の中の大半であり、だからこそ、彼らの椅子は確固たるものになること。結果として、既存の枠組みのなかの硬直した価値観が、より強く固定されるばかりで、新しい眼差しに通じる道は、まずます閉ざされていく。すなわち、小栗さんが、映画を作れる環境がなくなっていく。「売れない」、「わからない」と烙印をおされて。
大金を投じて多くの人間がチームを作って築き上げていく映画は、採算性も重要なポイントになります。
その採算性と、自らの信念や美意識の狭間で何とかしようとする小栗さんと、自分一人で身軽に動いて、手を動かして、アウトプットする私では、比べものにならないくらい苦悩の深さが違うけれど、20歳の頃より小栗さんの薫陶を受け続けた一人として、身の程知らずかもしれないけれど、その魂のリレーを担う一人になりたいと思うのです。
私が取り組んでいる日本の古層の探訪も、その手段の一つとしている針穴写真も、ふたつの世界の境界に揺らぐ魂と、大きく関わってきます。
そもそも、日本文化というものが、狭間の美学と言えるものでしょう。
暖簾や、生垣などをはじめ、日本人は暮らしの中で、こちら側と向こう側のあいだに堅牢な壁を築かず、時空としてつながったものとして捉えてきました。
彼岸と此岸の重なりが、幾層にもなって、日本人の心を形成しているのです。
白か黒、0か1という近代西欧の合理主義では割り切れず計り知れないグレーゾンの豊かさを大事にする感受性を、日本人は、今でも備えています。
私は、20歳の頃の世界放浪の後、世界各地の様々な人間文化に触れてきたつもりだけれど、そこに暮らす人たちのことを、表面的にしか理解できていないという自覚は持っています。それでも、旅人として、見て感じ取ってきたものは自分の中に根付いており、そのことによって、自らが生まれ育った日本を、裏側から見る視点が得られたような感じもしているのです。
裏から、陰から、奥から、日本という国を見つめること。それが今の私のテーマであり、そのテーマを掘り下げていく方法として選んだ針穴写真は、自分と対象の境界を、おぼろげに融かす作用があります。
超長時間露光の針穴写真は、意識的に何ものかを狙い撃つ(shoot)のではなく、無意識的に何ものかを招きいれる感覚の写真行為となり、撮影中は、おのずから、対象の背後の声に耳を傾ける時間となるのです。
こうした内容での対談をお願いするお相手となると、写真家や評論家や歴史学者という肩書きのついた特定ジャンルの専門家ではなく、人間としての小栗康平さんが、私にとって最善でした。
現代は、なんとも卑小な肩書き羅列社会になってしまい、誰でも簡単に扱えるカメラで何かしらの映像作品を作れば、それだけで名刺に「映画監督」と印刷をして平気な顔をしている人が多く、「写真家」においてもそうです。
そうした肩書きをアイデンティティにするのは結構なのですが、映画表現や写真表現において、どれだけその表現における責任の重さを自覚しているかが、その人の”まこと”を計る尺度だと思います。
表現における責任というのは、その表現に、どれだけ「本当」が反映されているかの深い内省と、その内省にもとずく誠実、本当にごまかしがないと言い切れるのかという問いの深さが関わってきます。
表現者を自称する者どうしのあいだで、そういう話をすることさえ難しくなっている時代のなかで、小栗さんと向き合って、時に厳しく指摘を受けながらも対話を深めていくことは、誰かにその対話を聞いてもらうためではなく、自分にとって必要な時間だと思っています。