
恋愛において、どんなに異性にもてる人でも、自分の意中の人に振り向いてもらえないと、心の中は辛く悲しいはずで、それは、物づくりでも同じ。
100人の感想よりも、あの人の心に届くかどうかが気になるという存在がいる。
なので、新しく本ができれば、まず、その人たちに見てもらう。そして、その人たちは、日本の中でもっとも尊敬している人たちでもあり、かつ厳しく確かな目を持った人であり、発せられる言葉は、それがたとえ否定的なものであっても、次に向かう際の指針になって、より深く高いところへと意欲が増す。
このたび制作した「かんながらの道」に対して、そのお一人から、次のような感想をいただいた。
「いま、カメラオブスクラの記憶を持ち続けることは至難なことです。外殻を嫌いひかりの示す複雑なイメージを見つけた人のみの特権かもしれません。針穴のあの逆さまを思い出し、数カ所さかさにして見ました。思念が宙返りし、イメージがさまよい、現在の見えにくいデーモンが窺えるのにはっとしました。都市への解釈も加わり、新しい世界の円環がみえだして、まさに予言の書となりました。」
数カ所をさかさまにして見るという言葉に、私自身も、はっとした。
制作段階では、そんなこと考えたこともなかったが、この写真のことだろうか、どの写真のことだろうかと、一つずつ確認した。
「思念が宙返り」、「現在の見えにくいデーモン」、「新しい世界の円環」、「まさに予言の書」、これらの言葉は、言葉だけで、私を戦慄させる力がある。
そして、明確な啓示をいただいたような、ある種の目眩を覚え、次への道の先に、扉が少し開いて光が差し込んでいるような感覚を抱く。
針穴写真は、天地が逆さまに写っている。しかし、その逆さまというのは、大地の上に立っている人間の視点でそう感じるだけで、天の上からの視点では、ピンホールの暗箱の中の画像が、常態かもしれない。
「新しい世界の円環が見えだして」というのは、なんと心惹かれる言葉だろう。心惹かれるのは、潜在的な希望が、そこにあるから。
新しい世界の円環は、自分が立っているポジションからは見えない。そのポジションを、どう移すか。作為的ではなく、おのずから、しからしむるように、移せなければ、移したと思っていても、実は、立ち位置としては、同じになるだろう。
予言というのは、預言であり、自分の中のイメージではなく、預かったイメージ。預かるのは、授かるということでもある。
このように、自分以外の自分にとって特別の存在から言葉を預かって、自然な形で、これまでと少し違うポジションに移ることができる。
まずは、さかさまに見てみるというところから、自分にとっての次が始まっていく。
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「かんながらの道」は、書店での販売は行わず、オンラインだけでの販売となります。
詳細およびお申し込みは、ホームページアドレスから、ご確認ください。よろしく、お願い申し上げます。
https://www.kazetabi.jp/
また、新刊の内容に合わせて、京都と東京でワークショップを行います。
<京都>日時:2024年11月16日(土)、11月17日(日) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(京都) 京都市西京区嵐山森ノ前町(最寄駅:阪急 松尾大社駅)
<東京>日時:2024年12月14日(土)、12月15日(日) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(東京) 東京都日野市高幡不動(最寄駅:京王線 高幡不動駅)
