
猛暑の東京を歩き回ってピンホール写真を撮り続けていた余韻を引きずったまま、京都に移動してすぐに歩き回った祇園界隈は、2014年から2019年くらい前までの5年間、住んでいたところだった。
その当時、airbnbをやりながら、毎日のように海外からやってくるゲストを迎えていた。
京都で最も賑やかな場所での暮らしは、最初の頃はわりと楽しかったが、すぐに飽きてしまった。家を出ると観光客ばかりの状況になってしまったこともあり、現在の拠点である桂川流域に移動したが、こちらは自然の景色も素晴らしくて、飽きるという感覚が生じない。
京都の魅力は、実は、こうした自然が身近に感じられるところにあるのだが、「歴史文化」こそが京都の魅力だと思っている人は多く、だからもちろん、それを目当てに観光客がやってくる。
しかし、その「歴史文化」は、実は博物館に展示されている遺物のようなもので、果たしてそれが本当に文化だと言えるのかという疑問がある。
博物館で有名美術家の作品が展示されて、それを見物しに大勢が訪れるが、その人たちの明日から未来にかけて、その展示が、自分にとって何か特別な意味をもってくるということが、果たしてどれだけあるだろうか?
温故知新につながらないような歴史との接点が、歴史文化と言えるのだろうか?
温故知新というのは、単に昔のことを調べたり知るだけでなく、故きを温ねて、新たな道理を導き出し、新しい見解を獲得すること。
少し前、テレビをつけたら京都の京セラ美術館で村上隆が大規模な展示会をやるということで、その特番をやっていた。
番組の全てを観たわけではないが、テレビをつけたタイミングで、美術館の責任ある立場らしき人が、京都と四神相応の関係云々という話をして、どうやらそれをテーマに作品作りをするらしいのだが、村上隆が、大勢の若いスタッフに叱咤激励するように「四神相応だってよ、早く調べて」と言い、スタッフがネットで検索して、「四神相応ってそういう意味ね」となって、虎の絵を描いたりしていた。
その美術館の責任ある人らしき人が、きちんと説明できないのが問題なのだが、その場でネット検索して、「そういうことね」とわかったつもりになっている程度の文化。
京都が四神相応に基づいて設計されたという話は、京都の文化人とされる人なんかでも薄ぼんやりと口にすることが多いが、史実として、そういう記録なんかどこにもない。
風水に詳しい専門家が、そういうことを述べ始め、なるほど東には青龍と言える鴨川が流れ、北には玄武と言える船岡山がある云々ということになっているが、西の白虎(道とされる)と南の朱雀(巨椋池とされるが、かなり西にズレている)は、どれに対応しているのか、実際にはよくわからない。
奈良の平城京に関しては、元明天皇が、四神相応に基づいて建設するという詔を出しているし、藤原京や平城京が建設された場所の真南には、キトラ古墳と高松塚古墳が築かれ、石室には、四神相応図が描かれている。
律令時代の始まりにおいては、天武天皇自身が、陰陽道の使い手であり、行政機関として陰陽寮が作られ、政治と陰陽道は深い関係があったが、平安時代も平城京の時と同じだと考えるのは単純すぎる。
平安時代における陰陽道は、日常生活に即した占いの様相が強くなっており、陰陽の五行に、十干・十二支・八卦が組み合わさって9星図が作成され、それをもとに吉兆が占われたり、源氏物語においても細かく描写されているが、方違え(かたたがえ=自分が行こうとする方角が凶方位である場合に、一旦他の方角へ行ってから目的地へ向かうこと)などが行われた。
そして、平安京の位置決めがどのようになされたかについては、京田辺の甘南備山を軸にして、その真北に平安京の中心の朱雀通り(今の千本通り)がくるようにして、そのライン上に、大極殿、羅生門が築かれたことが有力視されている。事実、明確にそうなっている。
そして平安京を守る方位神は、四神ではなく大将軍神であり、これが平安京の重要な意味を持つ方位に祀られている。
平安京のまつりごとが行われた大極殿の真北には、大将軍社として、西賀茂大将軍神社が祀られており、東は岡崎神社がそれに該当する。
京都の美術館からの依頼で、若いスタッフがネットでチャチャと調べて村上隆が京都を象徴するイメージとして作成した四神相応図(番組では西の虎に焦点をあてていた)は、もっともらしい顔で京都の文化人気取りが口にしていることだが、実際は間違っているイメージを増幅させたものにすぎない。
ただ、皮肉なことだが、それが「今の京都」の現実でもあり、京都の美術館の依頼で村上隆が行った「もののけ 京都」における代表展示らしい「洛中洛外図屏風」は、さらにその象徴だろう。
この作品のオリジナルは、戦国時代末期から江戸時代初期に活躍した岩佐又兵衛の傑作である。
同じ時代には、日本美術史の中の傑作が集中しており、俵屋宗達、長谷川等伯、海北友松など、装飾画の枠には決してはまらない超然たる作品を作り上げた画家が多いが、それは、戦国時代という人間の生死の生々しい現実を突きつけられた時代だったからだろう。
洛中洛外図屏風も、単なる京都の生活が描かれているわけではなく、克明に描かれた一つひとつの光景の中の生命の躍動感が素晴らしいものだ。
その傑作作品を村上隆の若いスタッフがコンピュータに取り込んでトレースをして、その絵の中に、村上隆は、アニメキャラの「もののけ」を挿入している。
これを岩佐又兵衛が生きていたら、なんと思うことだろう?
しかし、この程度のものを有り難そうに持ち上げることも、今の京都文化の現実。
家元制度という虚飾の権威構造のなかで安住している京都の茶道文化とやらに対しても、千利休が生きていたら、なんと思うことだろう?
今の京都には、東京ではありえない権威や権力が横行している。
お家元とか宗家という伝統文化の継承者によって、その流派の経営や普及活動、そして数多くの弟子の統率と金銭徴収が行われているのだが、京都で開催される文化シンポジウムのようなものには、そうしたお家元とか宗家が登場していることが多い。そして中身のないことを喋っていても、周りが持ち上げるだけ。誰にも文句が言えない聖域みたいになっていて、大学の教授なんかも、そうしたお家元とか宗家とお知り合いになっているだけで、自らの文化的権威が高まると錯覚している人が多く、実にくだらない。
村上隆の「もののけ 京都」において、村上隆は、「もののけ」を単なる記号として扱っただけだが、京都の文化も、単なる記号化している。
多くの観光客は、美術館でルネッサンス展を観る場合もそうだが、記号を処理するだけのために訪れているケースが大半。だから京都には観光客が溢れている。
しかし、その反面、京都は人口流出数がもっとも多い都市であり、高齢者の比率もナンバーワンというシリアスな現実がある。
特に若者の京都離れが深刻な問題であり、その理由として住宅事情云々と説明されているが、本質的には、若者にとって魅力のない都市だということだ。
京都は、ある意味、蜃気楼。
人々の現実と、観光客が目当てにやってくる「歴史」は、離れすぎていて、単なる博物館化している都市、それが京都。
その京都よりも東京の方が観光客が多いのだけれど、彼らの目当ては、生きた現実に触れること。
東京は、生きた現実が超現実的で、それが観光客を惹きつけている。
京都に若者が住まないようになって、相変わらず東京が若者を引き付けているのは、そのあたりにも理由があるかもと思う。
若者が、NHKの美術なんとかという番組よりユーチューブを観るのと同じ。
ユーチューブにも色々問題があると指摘されるけど、何にも問題はありませんという顔をしている美術番組や、上に述べた形骸化した文化は、もっと根深い問題がある。
形骸化したものの上にあぐらをかいて威張れてしまう京都が、衰退していくのは必然かもしれない。
京都で行われる「文化活動」は、その大半が、すでに形骸化した文化に便乗する形でのものが多い。
京都の文化そのものを根本から捉え直すということは、上に述べた四神相応の件にしてもそうだが、京都の文化気取りの人がまったく理解できていないことばかりなので、大きな流れになりにくい。むしろ、そうした取り組みは、自分の牙城を崩すことにつながるのだから、そういうことに近づいたりしない。
自分が理解できていることの範疇であぐらをかくのは、人間の性質でもあるが、東京の方が、まだ自分が理解できない得体のしれなさに惹きつけられている人が多いかもしれない。
村上隆の「もののけ 京都」展は、「もののけ」を誰でも理解可能な記号の範囲に貶めているから、多くの人が安心して楽しめるものになっているのだろう。
しかし、本来、「もののけ」というのは、自分の理解を超えている存在がゆえに、心底、恐ろしくて、それでも魅力がある存在であり、だからこそ、源氏物語の中の六条御息所が特別な存在意義となっている。
村上隆の「もののけ 京都」展に、六条御息所が描かれているのかどうか私は知らない。
紫式部が主人公の大河ドラマが行われている最中であり、京セラ美術館の担当者が、それなりの知的教養があれば、当然ながら、四神相応図の虎よりも、六条御息所の方が、京都の「もののけ」を伝えるうえで重要だと判断できるはずだ。
しかし、仮に村上隆に六条御息所を描くことを依頼したとしても、六条御息所のことをきちんと説明できず、村上隆の若いスタッフが、ネットのウィキペディアか何かで調べて、ああそういうことねと処理されて描かれるのかもしれない。それに対して、美術館側も、ありがたく頂戴しますという文化程度なのだろうか。
村上隆が、そういうエセ文化を嘲笑っているのなら、確信犯の反逆者として見事と言えるかもしれないが、「こんな感じでやれば、みんなに受けるんじゃないの」という形での新しい家元や宗家になっているだけなのかもしれない。すでに権威化されれば(とりわけ海外において)、言っていること、やっていることは全てご立派でございますと周りが持ち上げるだけの構造の中で、東京では、一ジャンルにすぎないことが、一大権威装置になってしまうのが京都。
それらは全て、現代の蜃気楼。
東京の蜃気楼と、京都の蜃気楼は、少し様相は異なるけれど、有意転変のなかの虚ろな現象世界。
岩佐又兵衛の洛中洛外図屏風が、なぜあれほどまで躍動的なのかというと、又兵衛の意識が、有意ではあく、無為の方に向けられているからだ。
無為というのは、移ろいゆく現象世界の背後の力であり、こちらは、変わることがなく永続している。
生物の個体は有為だが、生命を過去から未来へとつなぐ力は無為。
豊臣秀吉によって切腹を命じられた千利休も、当然ながら、有為ではなく無為に意識が向いていたはずであり、それが本来の茶道の精神。表面的な虚飾によって権威化するなどというのは、もっての他だったはず。
もしも、京都に真の文化を見出そうと思えば、「有為」ではなく、「無為」に意識の重点を置くしかない。
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