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第1487回 人類史上稀にみる世界的規模の画一化、標準化、規格化の時代を生き抜く力(2)。

昨日書いたことに通じる問題だけれど、現在は、映像の加工ソフトの技術進化が著しくて、富士山の写真に無数の星々が煌く天体写真を合成したり、日頃は敵対する動物同士を仲良くさせたり、フェイク画像を簡単に作り出すことができる。
 いわゆる社会問題や政治問題や国際問題とされるテーマの映像でも、簡単な操作でフェイク画像を作り出すことができるわけで、人々の心を操り、ミスリードすることだって行われる。
 この問題に関連することで、昨日、 「異なる眼差しというのは、別の角度から見たり距離を変えて見ることによる差異ではなく、隠れているものを見抜く眼差しなのだ。」ということを書いたが、フェイク画像もまた、「表層的な見せ方の違いで差別化している表現運動」の一つであり、こうしたフェイク画像を作る人間を取締ろうとしても、本質的な問題解決にならない。
 デジタル技術が発達する以前から、巷には各種の画像が溢れており、華やかな広告写真で人々の心を操り、消費活動へと導く手法も当たり前のように行われていた。フェイクとは言えなくても、虚飾という言葉が示すように「虚」であることは間違いない。
 報道写真などにおいても、有名なものでは、「ハゲワシと少女」での議論があった。「シャッターを切るより、子供を助けるべきだ」と。
 これも実にくだらない議論で、シャッターを切るのは一瞬の行為であるから、シャッターを切った後からでも子供をハゲワシから守ることはできるのであって、虚の善意による発言や議論が、人々の目を事の真相から遠ざける
 「ハゲワシと少女」を撮った写真家は、ピュリツァー賞を受賞した後、自殺したことでも有名だが、この写真によって区切られた場面の外側には、写真には写っていない別の場面が存在しており、そこには、子供のお母さんが食物の配給を受け取るために並んでいた、という話もある。
 すなわち、この一枚の写真は、「実態」というより「象徴」である。写真家の中で、この構図で切り取れば、スーダンの現実を伝える象徴的な写真になるという直観があり、シャッターを切っただけだ。
 その写真が、彼の想像を超えたセンセーショナルな事件になってしまった。
 「シャッターを切るより、子供を助けるべきだ」と声高に叫んだり、この写真で、スーダンという国の惨状を少し知った人もいる。しかし、それだけのことであり、その人たちの暮らしは、その後も、ほとんど変わっていないだろう。
 もしかしたら、この一枚の写真によって難民支援活動などの奉仕活動に舵をきった人もいるかもしれないが、そういう人は、この写真を見る前から、心のなかに何かしらの準備があったはず。
 この「心のなかの何かしらの準備」に関わっているものが、英語では、intuitionとか、 gut feeling(内臓で感じる力) ということになる。
 日本語で平たく言えば、「上手く説明できないけど、何か確信がある」とか、考えたりする前に直観的に分かる能力であり、それが、昨日も書いた洞察力ということになる。
 物事の本質や人の本質というのは、隠れており、その隠れているものを見抜く力だ。
 こうした力は、本来、人間の野生の領域に備わっているものではないかと思われる。
 野生動物の行動原理は、 人間のような理屈分別によるものではなく、まさに、gut feelingによる。生命体は、危機回避のために、この力を備えている。
 しかし、人間の文明社会は、様々な理屈分別が蔓延し、このgut feelingを曇らせる方向へと導く。
「ハゲワシと少女」の写真において、「シャッターを切るより、子供を助けるべきだ」などという議論は、gut feelingをベースにしていたら起こらないものだ。身体的な一連の流れで、両方が可能なことは誰にでもわかる。
 そして、gut feelingを曇らせることは、生物にとって生存の危機につながるものであり、それは人類にとっても同じだ。
 フェイク画像に簡単に騙され、詐欺師に大金を巻き上げられる。
 セキュリティソフトの不具合一つで世界中が大混乱に陥るような人類史上稀にみる世界的規模の画一化、標準化、規格化の時代において、そのシステムを管理できる立場にいる者に、簡単に操作される。
 これは大袈裟なことではなく、インターネット社会の前のメディアは、人々を自らの欲するままに操れる力を持っていて、その力を行使していた。スポンサーから多くのお金を得るためにはどうすればいいかわかっていて、それを実行していたし、太平洋戦争の時には、国民を扇動し、泥沼の戦争へと巻き込んでいった。
 大衆メディアがインターネットに席を譲っても、構造が変わったわけではない。
  文明社会の中には、人々を騙し、誤った道へと導くものは無数に存在している。それは明確にわかる詐欺師だけではなく、善良な顔をして、社会的には善人で通っている人においても、当人は自覚なく、人を誤った方向へと導いている。
 たとえば文部科学省の管理下にある学校教育制度のなかで働く教師たちのなかで、20年後には現在の価値観が通用しない可能性が大なのに、子供たちを受験戦争へと追い込んでいく段階で、gut feelingが減退していくことに危機感を感じて行動している人が、果たしてどれだけいるだろうか?
 医師においても、頭が痛ければ頭痛薬、胃の調子が悪ければ胃薬、風邪を引いたら風邪薬を処方することが仕事だと思っている人が大半で、生命力を高めることが根本的な治療であると考えて実行している医師は、非常に限られている。
 現代文明における問題対策は、対症療法であり、これは、​​ウイルスや細菌の侵入に対抗して、それらを排除しようとすることや、一時的に病気の症状を和らげるもので、その場しのぎの対策だ。
 その場しのぎの対策は、必ず、どこかに皺寄せが行っているわけで、重要なことは、対症療法で問題解決したと思わず、原因療法を同時に進めていく心がけだ。
 こうした時代に本当に求められる表現は、当然ながら対症療法ではなく、原因療法に通じるものであり、その方法は、人々が本来備えているはずのgut feelingを目覚めさせたり、活性化させるところにあると私は思い続けていて、だから私がこれまで制作してきた雑誌や本、そしてイベントは、そうした考えがもとになっている。
 具体的には、たとえば星野道夫さんの写真において、私は、野生の息遣いが伝わる写真を選択し、当時、世間に出回っていた可愛いい動物写真は、風の旅人で掲載したいとは思わなかった。
 世界各国の場所を紹介する際も、その場所に観光に出かけたいと思わせるような写真も掲載しなかった。
 人間の困難な状況を伝える際も、惨状を伝えて人々の同情を誘うのではなく、どんなに過酷な状況であっても失われない人間の気高さや尊厳を伝えたかった。そうした表現は、その状況の深刻さを弱めてしまうなどと主張する人もいるが、それは違っている。
 野生動物のようにgut feelingの力で気高く闘って、それでも打ちのめされてしまう状況こそ、人間に、世界の不条理というものを突きつける。
 自分は不条理と関係ない安全地帯にいると錯覚しているから、軽い気持ちで同情するのであって、そういう人こそ、自分が不条理に巻き込まれることを極端に忌み嫌うし、恐れる。
 不条理に対して立ち向かうgut feelingを活性化させない情報伝達は、どんなに工夫を凝らそうとも、受け手の情報整理に使われるだけである。
 見た目に美しいフェイク画像にしても、それが、gut feelingに響いてこなければ、ただの断片的情報にすぎず、どうでもいいものなのだ。そう判断していた方が、フェイク画像にも騙されないだろう。 
 それでは果たして、フェイクによってgut feelingを欺くようなものが作れるかどうかという問題が残る。
 この問題において、写真家の杉本博司は、剥製の動物を撮影し、「この写真を見た時、生きている動物だと思った人は、自分の生命観を問い直した方がいい」と、問いかけた。
 しかし、この理屈っぽい問いかけ表現は、gut feelingが衰退しているかどうかの確認を求めているだけで、てgut feelingを活性化させるものではない。
 野生動物だって、経験が少ないと、罠=フェイクに引っかかる。剥製を上手に撮影した写真を見て生きていると思ってしまうのは、経験が足りないだけだ。
 だから、経験の浅いgut feelingはフェイクに騙されるかもしれないが、gut feelingは、経験によって、そのフェイクを見破る力を得ることもできる。
 こうしたことを、「埒があかず、キリがない」などと言うのは、それこそgut feelingが弱まっている証であり、野生の生き物は、そうした攻防をどこまでも続けていく。擬態をはじめ様々な騙し合いが野生の世界の中でも存在し、そこまで行けば、それはフェイクではなく、いのちの実態なのだ。
 インターネット世界においても、そうした騙し合いの攻防は、果てしなく続いていくだろう。
 そうした状況を、外側からの目線で批評分析しても何にもならない。誰もが当事者として、虚に対して簡単に騙されないように、gut feelingを、どう活性化させていくかだけが一番大事なことであり、この時代の表現者のミッションは、その一番大事なところにあると思う。
 表現界において蔓延している虚は、服を着ていない王様を見て、「王様は裸だ」とは言えず、王様の服は立派ですねえと、周りに迎合している状況だ。
 評論家が理屈っぽい言葉で褒める海外作品や、権威ある賞を受賞した作品を、わかったふりをして持ち上げる人は、表現業界の界隈で、とても多い。

 

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7月27日(土)、28日(日)、京都の松尾大社周辺で、フィールドワークとワークショップセミナーを開催します。
 詳細と、お申し込みは、ホームページにてご案内しております。
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