「KYOTOGRAPHIE」を京都の春の風物詩にまで育て上げた主催者の努力への敬意とは別に、この記事で、ダニエル・アビー氏が批評していることは、非常に大事なことを含んでいる。
特に今日の写真表現の有様について深く考えるべき立場にいる人は、ダニエル氏の言葉に対して、もし抵抗なり違和感を感じるようなら、目を背けて耳を閉じるのではなく、その理由について考える必要があると思う。
とりわけ、ジェームズ・モリソンの展示「子どもたちの眠る場所」や、「イランの市民と写真家たち」による「あなたは死なない──もうひとつのイラン蜂起の物語──」という展示、そして、ヴィヴィアン・サッセンの回顧展などに関するダニエル氏の批評は、社会的大義および、被写体を自分の表現材料するという、写真家の人権に対する意識の深さが大きく関わってくるものである。
この問題に対して、ダニエル氏が言葉を尽くして説くように、複雑で深刻な世界各国の情勢に対する「偽りの理解」や、対象となる人々への無意識の”侮辱”(無意識だから、よけいに悪質でもある)を拡張してしまう表現を、鑑賞者が、目を楽しませるだけのアートと同じ感覚で消費してしまう可能性に対して、どれだけ慎重に、かつ真摯に考え抜いているかどうか?
「KYOTOGRAPHIE」を、毎年、楽しみにしている鑑賞者もいるだろう。しかし、その楽しみが、ダニエル氏の書くように、「春の京都で、様々なユニークな会場を舞台に展示を開催し、観客は、各会場を巡りながらスタンプラリーのような興奮を感じることができる。」といったもので、楽しさが気楽と同一の感覚となり、結果的に深刻に考えなくてすむような演出によるものだとしたら、それはファッションショーと同じとなる。
ゆえに、その場に善意に満ちた「社会問題」や「国際問題」を挿入しても、ダニエル氏の言うように、「鑑賞者は、一連のグローバルな問題を把握しているかのような錯覚を得る。」という自己満足に陥るだけに終わる。
表現活動のミッションは、こうした世俗的な自己本意の問題処理の仕方に対する闘いだ。だから、時として、自己満足や自己保身の牙城に閉じこもりたい人たちを敵にまわすことになる。
誰しも、他者の問題を自分ごととして突きつけられることに対しては、拒否感がある。それゆえ、自分の砦として築き上げている自分に馴染みのある思考の型に物事を当てはめて、自己流の理解で処理する。それが、表現物を心地よく楽しむための術だ。興行的に成功することを目的化するならば、この方法で鑑賞者を満足させてあげることが必要になる。
ファッションショーならば、それでいい。しかし、そうした舞台に、「社会問題」や「国際問題」を乗せてしまうことに対して、どれほど深くその問題について考えているのかということを、ダニエル氏は言いたいのだろう。
彼の本心は知らないが、私は、このことに関して、自分なりに深く考えて実践してきたつもりなので、ダニエル氏の文脈を、深読みしすぎているかもしれない。
テレビなどでも、キャスターが「社会問題」や「国際問題」について深刻そうな顔でコメントを発した後、すぐに爽やかな顔になって、「次はスポーツです。今日の大谷選手は、どうだったでしょうか」とか、「コマーシャルです」と話題を変える。
雑誌の場合も、「社会問題」や「国際問題」のまわりにタレントの不倫記事とか、女性グラビアとか広告が散りばめられる。環境問題の記事があったとしても消費を煽るコマーシャルとセットになっている。
そうした媒体は、たとえ「社会問題」や「国際問題」を扱っていても、気楽に接することができる。
気楽に見ることができたり、気楽に考えることができるようなものは、世の中に溢れかえっているわけで、あらためて自分のエネルギーを使って真剣に作る意味がない。
知的な雰囲気のある媒体や舞台を作って、それを観る人が、少し自分が賢くなったような良い気分になることは、商売としてうまくいくコツかもしれないが、私は、生理的にそういう媒体づくりが耐えられなかった。
媒体づくりは、一つの場づくりであり、場全体の力を通して、見えにくいものを見たり、考えにくいものを考える場にする必要がある。
そのためには、ゾーン状態と言えるほどの意識の集中へと導くエネルギーの漲った場づくりが求められる。
そのように作り上げられた場には、人によっては見たくないものや考えたくないものも含まれているかもしれない。
風の旅人は、創刊号の時から、「見たくないものを見せられた」というクレームがあった。
しかし、不思議なことに、同じ内容を観た入院中の方から、「涙がボロボロ出て止まらなかった」というメッセージをいただいた。
自分の置かれた状況によって、同じ内容でも物事の見え方は変わってくる。しかし、それは、いずれの場合でも、軽く表面的に流していないということで同じなのだ。
今回の、ダニエル氏の言葉を尽くした論評も、そのへんの誰もが無責任に発している凡庸な分析や褒め言葉ではないので、気軽に消費してすませる類のものではない。
とくに、物事を表面的な処理ですませたい人にとって、見たくないことや考えたくないことが含まれている。
しかし、大事な問題に対するシカトの癖は、自分の頭で考える力を育てることにならず、いつしか、その反動は、必ず自分に返ってきてしまう。
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7月27日(土)、28日(日)、京都の松尾大社周辺で、フィールドワークとワークショップセミナーを開催します。
詳細と、お申し込みは、ホームページにてご案内しております。
https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/