「鈍感力」という本が売れているらしい。この著者に対して、企業をはじめ、あちこちの団体から講演依頼が殺到しているらしい。今朝のテレビで、その著者がインタビューされていた。
「最近の若者は、周りのことや人に言われたこととか気にしすぎ。もっと大らかにならないと・・・」 会社をすぐに辞めてしまうことや、離婚の原因も、敏感すぎるからであり、多少のことは気にしない鈍感さを身につけなければならない、ということが話しの趣旨だった。
これは、少し前に流行った「人に好かれるための話し方・・・」シリーズと同じく、ある種の”処世術”なんだろうけれど、モノゴトの捉え方が単純で一面的だなあと思う。一面的だけれどもそれに合致する人が存在する。たとえ全体の10%でも合致する人がいれば、その人たちは書かれていることに納得する。だから70万部くらいは売れるのだろう。そして70万部も売れると出版業界では大変な数字になるから、大騒ぎになって、時代のキーワードのように宣伝され、あっという間に、200万部とかになってしまうのだろうか。そうすると、本当は合致しないのに、周りの騒ぎにつられて買う人も出てくるのだろう。
最近の若者は、繊細敏感な人もいれば、鈍感な人もいる。車内で化粧する女性が、繊細敏感だとは思えない。また、自分のことに対して敏感だけど他者のことに対して鈍感という人もいるだろうし、その逆もあるだろう。
入ったばかりの会社を辞めてしまうのも、敏感だからとは限らない。あまりにも鈍感で、入社前にその会社の問題に気付かず、入社して働いて初めて「自分のイメージとは違ったから辞める」という人も非常に多い筈だ。結婚にしても同じだろう。鈍感なために相手の隠された部分を察することができず、表面的なイメージの良さだけで結婚して、一緒に生活を始めたとたん、相手に幻滅をするという人も多いだろう。
繊細すぎる人にとっては、鈍感さが必要かもしれないけれど、鈍感すぎる人にとっては、機微を読めるデリカシーが必要だ。
どちらが大事かを議論しても、仕方ない。
私が思うに、内向的であるか外向的であるかなど、先天的な素質及び幼少時の育ち方によって、人それぞれ持っているものに違いがある。大事なことは、既に自分のものになっているものに安住せず、後天的に、別のものを自分に身につけていくことではないかと思う。
履歴書などで、「性格が明るい」ということを自分の長所にあげる人が多い。明るい方が暗い方よりもいいというイメージが世間に浸透していて、それを知っているから、堂々と、「性格の明るさ」を誇るのだろうけれど、私はそんなことどうでもいいと思う。
性格が明るいかもしれないけれど、モノゴトの機微が分からないという人はいる。自分の感情を優先して、他人の感情を察することができない人もいる。べらべらと自分の関心のあることだけ陽気に喋り、人の話には耳を傾けなかったり、自分が関心のない話しだと、露骨に厭な顔をする人もいる。そういう人は、一般の人が誉めてくれる「性格の明るさ」に胡座をかいていないで、熟慮とか内省とか、内向的な部分も養っていく必要があるだろう。
その逆に、「性格が暗い」ということを短所だと思う人もいる。世間の風潮がそうだから、そう思わされている。しかし、そのなかには、周りに神経が行き届いていて、内省的な人も多い。他人の感情の機微にとても敏感で、目配り、気配り、心配りができる人も多い。そういう資質はきっと長所だと思うが、それが長所だとしてもそこに胡座をかいてしまえば、周りに配慮はできるけれど行動は苦手で、行動できない自分をグジグジと悩むということで終わってしまいかねない。
だから先天的に内向的な人は、敢えて大胆になること、小さなことを気にしないこと、行動の勇気を持つこと、自分の思っていることを口に出すことを自分に課す必要があるのかもしれない。
陽気な人も、そうでない人も、その人の幅は、先天的に持っているもので決まってくるのではなく、後天的に自分に積み重ねたもので決まってくるのではないだろうか。
これと同じで、右脳型、左脳型という分け方もあるが、どちらか一方だと、うまくいかないだろうと思う。
外の情報や刺激を受信する際に大きな役割を果たす部分と、受信したものを自分のなかで再構成して発信する際に大きな役割を果たす部分があって、右と左、鈍感と敏感の両方がなければ、うまくいかない。最初からどちらも持っているという人は稀で、誰しも最初は片側の方が強く、この世を生きていく時間のなかで多くの出会いを重ね、経験を積みながら弱い方を補強していくことによって、その場に応じた自分を発揮できる自分になっていくのではないかと思う。
◎「風の旅人」のオンラインショップを開設しました。定期購読、バックナンバー、最新号の購入が、コンビニ支払いでできます。「ユーラシアの風景」(日野啓三著)も購入可能です。