http://hidebbs.net/bbs/kazetabi55?sw=t
『ウェブ進化論』持田望夫 (ちくま新書)を読んで思ったのは、今、ネットの世界で何が起こっているかという程度のことではなく、この数年から数十年の人間の思考特性の大きな変化が、技術革新によって益々確かなものになり、今後はさらにそれが顕著になっていくだろうという自分の実感が、より確かなものになったということだった。
私は今、「風の旅人」の制作に励んでいるけれど、これを創刊する前の10年は旅行業に励んでいた。旅行業といっても格安チケットやハワイやグアムといった、『ウェブ進化論』で説明されている「恐竜の首」の分野にはまったく興味がなかった。つまり、いくら数百万人のニーズがある地域でも、参入障壁が低い分野は価格競争が避けられず、HISのように、量的規模の拡大によって経済合理性を実現できるところだけが勝利を収めることは目に見えていたからだ。そして実際に、この分野ではHISの一人勝ちになり、15年前にHISを追っていた新興企業は、HISに吸収されたり倒産して全て消えてしまった。
私は、少ない地域への大量送客ではなく、多くの地域に少数ずつ送客するという「ロングテール」攻略のためのビジネスモデルを、旅行業で実現しようと努力した。
それで、エチオピアとかレバノンとかアルタイ山脈といった秘境・辺境地域に自らがせっせと足を運ぶとともに、社員にもそれを奨励した(といっても調査目的という口実で海外に出かけて給料をもらうという都合の良いことばかりをしていたら会社がまわらないから、現地調査を希望する者は、私も含めて、自らの休暇を使うことが前提であったし、得られる情報を全員のものにする意識や、現地に対してモチベーションをかけられる対話力があり、その旨、しっかりとしたプレゼンテーションを行うことを義務づけたが)。
そうして、現地のオペレーターを開拓し関係作りを行うとともに、彼らに「ユーラシア旅行社」の旅行に対する考えを説き続けた。というのは、年間に少人数しか送客できない海外地域に社員を送り込んで支店を作ることはコスト的に見合わないため、現地の人々が「ユーラシア旅行社」の方法を理解し実践できることをビジネスパートナーの最低条件としたのだった。
次に大事なことは、社内における情報の共有化だった。世界の全大陸150カ国にもなる旅行地域に、社員全員が足を運び、お客様と対話を行う為の知識を身につけることは不可能だ。だから、他の社員が訪れて得てきた情報を、いかにして社員全員のものにするかが課題だった。最初は勉強会など頻繁に行ったが、その方法では増え続ける新コースに対応することができない。だから、社員全員が添乗などで訪れた地域の情報を紙に書き、それを全てコピーして一冊のファイルにして、全員に配布するという方法をとった。そのようにして情報が蓄積されていったが、この方法だと、例えば現地通貨の為替レートなど変動する情報に対応することが難しかった。しかし、私たちがそのように情報の共有化を当たり前のことをして意識していた頃、コンピューターシステムの利便性が促進され、価格も安くなっていったた。それによって、一人一人が蓄積した膨大な情報をコンピューターにインプットし、それをLANで結び、情報を修正しながら共有できるシステムへの移行をスムーズに行うことができた。
そして、現地の写真なども、添乗に行く際に一眼レフカメラを持たせて撮影させ(素人でも一眼レフで撮れば、一般の旅雑誌なみの写真は撮れる)、世界の秘境地域ごとに少しずつ集め、膨大なストックとなり、さながら写真ライブラリーのようなスケールとなり、説明会、パンフレット、PR誌などで活用でき、旅行記事も社員が書けるように訓練したので、販促コストは、ほとんどかからないシステムが整っていった。
また、ハワイなど通りすがりの人の半分以上が関心を持つディストネーションではなく、100人に1人から1000人に1人だけ関心を持てばいいようなユニークな地域への旅行を専門としたから、人通りの多い場所に店を構えるという方法はとらなかった。たった一つの拠点で、全国に分散するユニークな旅行の関心層や、全世界のオペレーターと電話やFAXや電子メールでコミュニケーションをとりながら業務を推進するという方法をとった。その方が、家賃など固定費が大幅に安くなるのだが、これはまさしく、「ロングテール」向けの必須の戦略だったのだ。
こうしたシステムの実現を行っていくうえで一番困難なことは、社員一人一人にその重要性を認識させることだった。これが思うほど簡単ではない。グーグルのような情報会社にビジネスのために入社してくる人間の意識と、旅行好きで、秘境や辺境に行くことが面白そうだという安易な発想で旅行会社に入社してくる人間の意識は、大きく異なる。
全員が情報を共有できるシステムを構築しても、意識の低い人間が間違った情報をインプットすると、それを全員が共有することになる。正しい情報でも、表現が稚拙だと、やはり誤解が生じ、間違って伝わる。また、怠慢さのために修正すべき情報を放置したままでも、問題が生じる。こうしたことを一つ一つ正して、社員に理解させていくことが一番むずかしい。
こうしたシステムの不具合は、情報の出し入れに関わる人間が少なく、情報量が少ないほど、粗が目立つ。しかし、情報の出し入れが頻繁になってきて、社員全体の20%でも意識の高い人間が育ってくると、牽制機能が働いて、全体的な精度が急激に増していく。
でも、この20%を100%にすることは極めて難しい。こうしたシステムの意義を理解できない人は、どんなに口うるさく説いたところで理解できないことがよくわかった。思考特性として、自分が好きなことだけをやりたいという人(例えば、旅好きという動機だけで旅行会社に入社する人は多い)と、社会なり組織全体が良い方向に向かうように自分も役割を果たしたいと思う人では、意識がまったく異なる。前者は、仕事を通じて身に降りかかることが、なかなか自分の体験になっていかない。その理由は、モノゴトを自分に都合良く分別する癖がついてしまっているからだ。そして、自分に都合良く分別できない場合でも、自分の至らなさを省みることがないから、不満だけが増大する。自分の能力が向上すると世界の見え方が異なってくるということが、まるでわからない。ボールをバットに当てる技量を身につけなければ、野球の楽しさなんかわかる筈がないのだけど、自分の技量不足を見つめず、ピッチャーの投げる球が悪いのだと自己肯定しがちなのだ。
それに比べて、後者は、自分の能力を向上させたいという思いが強いから、モノゴトに対して謙虚さがある。謙虚であるから、どんな経験でも智恵にできる。
こうしたことから、いくらシステムを作り上げても、それに関わる人間次第でシステムが良くも悪くもなる。だから、採用における人の見極めがもっとも大事なことになった。学歴が高いとか、テストの点数が高いといった表層的なことは、まったく意味がないのだ。とりわけ、自分の好きなことをやりたいから一生懸命に勉強してレベルの高い大学に入ったのだというプライドを強く持ってしまっている人は、その時点がスタートではなく、ゴールになってしまっている。自分の思惑どおりにモノゴトが進まないと思考停止状態に陥る。にもかかわらず、大学卒業時の小さな自分の器でその後の人生を生きていけるなどと自惚れて勘違いしているから、その後の成長はほとんど見込めない。ぜったいに採用してはいけないタイプの人間だ。
旅行業というのは特許無き業界で、商品も形がない。だから、「情報」と、それを運用する「人材」のパフォーマンスが決め手になる。しかし、この「情報」と「人材」の力を、「恐竜の首」の部分(格安チケット、ハワイ・サイパン)に、合理的経営(低賃金など)で人的資源を集中投下することでビジネスとして成功させることも可能だろう。でもこの場合は、スケールが勝負なので大規模な会社の数社だけが利益を出すことになる。
しかし、「情報」と「人材」をロングテールの部分に適応させる企業文化をつくりあげると、量的な強みを持っていない会社でも利益を出すことができる。
ユーラシア旅行社は、そうした戦略と戦術で成長し、旅行会社で5社目の株式上場会社(現在は、東急が上場廃止をしたので4社)となったのだが、上場審査において、この「ロングテール」の戦略を理解してもらうことは難しかった。上場審査を行う人、機関投資家、アナリストなどは、表層に現れやすい「恐竜の頭」の部分をビジネスモデルにしている会社のことは理解できるのだが、表だって目立たない「ロングテール」の市場性を理解できない人が多かったのだ。
証券業界や経営コンサルティングなどで働く人の多くは、既存のケーススタディを数多く頭に叩き込んでいるかもしれないが、将来展望が優れているわけではない。むしろ、一部の極めて優秀な例外を除いて、古い常識にとらわれた思考しかできない人が多いことが、彼らとの議論を通してよくわかった。特に、自ら経営に携わったことがないのにアナリストやコンサルティングの肩書きを持つ人は、ほとんどが、既存のケーススタディ追従型だ。将来の展望に対する勘は極めて鈍い。株式上場というのは、企業にとって初めての出来事で、その不安のために経営コンサルティングに高いお金を払ったり、アナリストの言うことに振り回されたりする。しかし、私は、経営コンサルティングの人たちが言うことにとても違和感を感じたので、すぐに契約を打ち切り、公認会計士だけに数字をチェックしてもらいながら、ほとんど全ての上場審査用の書類を独学しながら自分で作成した。
結果的に、それで何とかジャスダックに上場できた。
あれから5年経ち、世間の「ロングテール」に対する認識は大きく変わったことだろう。そして、今後益々この傾向が強くなり、旅行分野に限らず、どの産業でも、「恐竜の頭」の部分を支配する限られた数社と、無限に連なる「ロングテール」から、巧みな経済合理性によって利益を生み出す無数の会社に分かれていくのだろう。