以下の内容はhttps://kazenokomichi.hatenablog.jp/より取得しました。


大徳寺瓦土塀と京の冬の旅「大光院」特別公開

みなさま、こんにちは♪

今日は前回の今宮神社からの続きです。

↓前回のお話

kazenokomichi.hatenablog.jp

 

今宮神社の楼門の前の道は今宮門前通り、その東側には大徳寺があります。

その大徳寺の土塀がとてもおしゃれなことに気づきました。

 

瓦が埋め込まれた土塀なのです。

 

いろんな瓦が埋め込まれていて、ちょっとみていると楽しくなってきました。^-^

 

この瓦の埋め込み、とくに規則性があるわけでなく、

 

ところどころにこうして唐突に模様があるのです。

 

職人さんの遊び心が見えます。

きっと作りながら楽しまれていたのでは?なんて思います。

 

微妙に大きさが違う3つの巴紋、こうして似て非なるものをならべているのも面白いですね。

 

最後は般若です。これ、もともとはどこにあった瓦なんでしょう? ^-^;

調べてみると、どこかに鍾馗様も埋め込まれているそうですが、今回は見てないので、次にここを通った時に探してみましょう、^-^

 

さて、「あぶり餅」を食べたあと、まだ時間があったので、大徳寺も立ち寄ることにしました。大徳寺は20以上の塔頭がある大きなお寺です。

大徳寺のホームページによると、

鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師を開山とする臨済宗大徳寺派の大本山、開基は赤松則村です。山号は龍寶山です。
応仁の乱で荒廃しましたが、一休和尚が復興をさせ、桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために総見院を建立、戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めました。

そうそう、すっかり忘れていたけれど、一休和尚が復興させたのでした。

↓内容を忘れているけれど、一応10年前に記事書いてます、^-^;

kazenokomichi.hatenablog.jp

 

kazenokomichi.hatenablog.jp

kazenokomichi.hatenablog.jp

三門「金毛閣」

自分が書いた過去記事から引用します、^-^;

「応仁の乱で焼失した後、一休禅師の参徒で連歌師宗長の寄進により一階を創建。

その六十年後、千利休によって二階二層門となりました。

(天井に描かれた龍は長谷川等伯の筆によるものだそうなので、

一度機会があったら見てみたいものです。)

この楼上に利休木像を置いたことから秀吉の逆鱗にふれ、

利休切腹の原因となったと言われています。」

 

その利休像ですが、なんとこの秋に東京で初のお目見えをするそうなんです。

↓いただいてきたパンフレット

大光院の受付の方の話だと、京都での開催予定はなく、東博でしかやらないそうです。

利休を拝むために東京まで行こうかどうしようか…うーん、悩みます、^-^;

そういえば今、妙心寺展も大阪でやってますが、これも京都ではやらないんでしょうね?

(4月5日までなので、早く見に行かなくては…^-^;)

 

とりあえず大徳寺さん、広いんです。

特別拝観している法堂のあたりは観光バスでいらしている方達でいっぱいでしたが、すこし奥まったところだと、この通り、だれもいません、^-^;

 

高桐院

ここは細川家ゆかりのお寺です。細川忠興とガラシャ夫人のお墓がありますが、残念ながら、2020年から拝観休止になっています。

過去に何度か行ってるのですが、今チェックしたら記事にしてませんでした、^-^;

(記事を書いたつもりで終わっているもの多数…^-^;;)

 

というわけで、2015年11月に行った時の写真を掘り起こしてきました。

↓(夕方に行った写真なので、全体的に暗かった記憶)

またふたたび拝観できる日が来ますように‥


さて、高桐院を前にしばし思い出に浸っていましたが、近くにいた旅行者お二人が「大光院」が見つからなくて迷っておられたので、一緒に行くことにしました。^-^
(一緒に拝観できて楽しいひとときでした♪)

 

大光院

ここは秀吉の弟、豊臣秀長の菩提寺です。

秀長は大和郡山の領主だったので、当初は大和郡山に建てられていました。

しかし、後継の秀保が17歳で死去したためお家断絶。

菩提寺がなくなることを憂えた家臣の藤堂高虎が大徳寺へと移したとのことでした。

大光院というのは秀長の戒名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」から付けられた名前だそうです。

中の建物(客殿)は江戸時代に再建されたものですが、この写真の門は慶長4年(1599年)大徳寺山内に移された当時のものなのだそうです。

なお、もともと大光院は大徳寺の別の場所(現紫野高校)にありましたが、昭和の時代に紫野高校の施設拡張にともない、今の場所に移されたそうです。

紫野高校って、もとは大徳寺の敷地だったんですね。

 

この立札に写っている襖の黒雲龍図は客殿再建時に奥州伊達家伝来の狩野探幽筆の屏風を襖絵に直したものだそうです。もともと屏風だったため、襖のところどころに線が入っていて、その名残がみえました。

茶室「蒲庵(ほあん)」は黒田如水(官兵衛)好みの二畳台目の茶室。

またこの日は特別に秀長と高虎の供養塔も見学できました。

 

中は写真撮影NGだったので、写真は入口までのこれ1枚だけです。

客殿前のお庭は枯山水庭園で、赤松がりっぱでした。(ガイドさん曰く、龍に見えなくもないと…確かに。)

 

大光院の土塀。

こちらの瓦土塀も凝ってました。^-^

 

(おまけ)

帰りに「大こう」さんでお漬物を買いました♪

「大こう」さん立ち寄ったいきさつ(?)は下記のサイドブログに載せています。^-^;

↓よろしかったらお立ち寄りください。

komichi.hateblo.jp

 




以上の内容はhttps://kazenokomichi.hatenablog.jp/より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14