
Somewhere in the United States
疎空間の経済が成り立っていない、という言い方は、ときに強い反発を招く。
再分配があるのは当然ではないか。それは経済の失敗ではなく、税や財政の設計の問題ではないか。そうした声はもっともに聞こえる。
しかし、こうした反応の中では、再分配が原因で、疎空間の経済が成り立たなくなっている、と理解されてしまいがちだ*1。
だが、実際には順序が逆だ。疎空間では、再分配が行われる以前の段階で、支えるために必要なコストと、現実的に生み出せる富とのあいだに、すでに大きな差が生じている。下図が示すように、一人当たり社会維持コストと社会維持負担が概ね釣り合うためには人口密度が数千人のオーダーに達する必要があり、人口密度が低下するにつれて、一人当たり社会維持コストと社会維持負担の乖離が大きく拡大している傾向が分かる。

だからこそ再分配が必要になる。再分配的な税制が、疎空間のエコノミクスを壊しているのではない。再分配は、すでに存在する構造的なギャップに対応するための結果にすぎない。
問題は、再分配の是非ではない。問題は、再分配が必要になる前段階で、どのようなコスト構造と価値創出構造が組まれているかだ。
人口減少が進む地域や、すでに疎空間となった場所について語られるとき、「なぜ維持することが難しくなるのか」は、意外と説明されないまま語られることが多い。
背景にあるのは、人が集まるほど効率が高まり、規模が大きいほど経済が成り立つ、という都市型の発想だ。
その発想に照らせば、疎空間はどうしても不利で、非効率で、続かないものに見えてしまう。
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ここで一度、問いを整理しておこう。
疎空間が難しくなる理由として語られるのは、人口減少、財政制約、人手不足といった個別の要因であることが多い。それらはいずれも事実であり、無視できない。だが、それらを積み上げただけでは、「なぜ持続できなくなるのか」という問いには、実は十分に答えていない。
問題は、どの要因があるかではなく、それらがどのような構造のもとでつながりあっているかにある。つまり、経済が成り立つかどうかは、単一の条件や指標で決まるものではない。
視点を少し引いて見ると、経済の成立には、人口規模とは別の、より基本的な条件があることが見えてくる。それは、疎空間か都市かを問わず共通する条件であり、同時に、設計によって左右されうる条件でもある。
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上の図を見ると意外に思われるかもしれないが、経済が持続するかどうかは、人口密度そのものによって決まるわけではない。より正確には、二つの条件の組み合わせによって左右される。
一つは、その空間を維持するために、一人当たりどれだけのコストが必要になるかという条件。道路や水、電力、医療、教育といった基盤を維持するために、どの程度の負担が、構造的に一人ひとりにかかるのかだ。
もう一つは、その空間において、一人当たりどれだけの価値を現実的に生み出せるかという条件である。所得や生産性に限らず、その場所で営みを続ける意味や、外部とつながることで生まれる価値も(たとえば、医療・教育・食・エネルギーの自立度が外部とどう接続されるか、といった形で)含まれる。ただし、いずれも、経済として持続しうる形で、という前提がある。
経済の成立は、この二つのバランスの上に成り立っている。一人当たりのコストと、一人当たりの価値だ。
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人口密度は、確かに経済の成立条件に大きな影響を与える。人が集まれば、一人当たりのコストは下がりやすく、価値を生み出す機会も増えやすい。この点において、人口密度が重要であることは否定できない。
しかし、ここで注意すべきなのは、人口密度そのものは「操作できる変数」ではないという点だ。少なくとも短期的に、意図して増減させられるものではない。しかも、疎空間にとっては、増やすこと自体が現実的でない、あるいは空間価値の視点で望ましくない場合も多い。
にもかかわらず、議論の中ではしばしば、人口密度があたかも調整可能なレバーであるかのように扱われてきた。イベント、大型開発やまとまった施設で人を集めれば解決する、規模を大きくすれば成り立つ、という「村おこし」型の発想である。
だがそれは、結果を原因のように扱っているにすぎない。人口密度は、経済が成り立った結果として高まることはあっても、経済を成り立たせるために自在に引けるレバーではない。
人口密度を前提にした解決策が機能しなくなるとき、問題は人口が少ないことではなく、人口に依存した設計しか用意されていないことにある。直視されることの少ない不都合な真実だ。
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本稿が示したいのは、「人を増やす」以外にも、経済を立て直す設計の入口が確かに存在する、ということだ。人口密度がレバーでないとすれば、では、経済の成立に対して、設計が実際に触れられるのはどこなのだろうか。
設計が直接つくり出せるのは、経済が「成り立つ」かどうかという結果そのものではない。設計が介入できるのは、その結果を形づくっている条件の側だ。
具体的には、一人当たりのコストがどのように積み上がるかという構造と、一人当たりの価値がどのように生まれるかという構造である。
これらは、制度やインフラ、技術、運用の組み合わせによって、大きく姿を変える。同じ人口規模であっても、設計次第で負担の重さは大きく変わり、価値の生まれ方も目に見えて変わる。
経済は、設計(design)によって間接的に形づくられる。疎空間が経済的に困難に見えるとき、本当の問題は結果としての数値ではなく、その背後にある構造が、どのような設計のもとで組まれているかにある。
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コストの積み上がり方と、価値の生まれ方。この二つの構造は、経済の成立に対して働く二つのレバーだと考えることができる。

重要なのは、これらのレバーが裏表の関係にあるわけではない、という点だ。どちらか一方を動かせば、自動的にもう一方がついてくるわけではない。
都市は、主として後者、価値の生まれ方のレバーを引くことで成長してきた。人が集まり、分業が進み、知識や情報が交差することで、一人当たりの価値創出は高まりやすくなる。その結果として、高いコスト構造を支えられるようになった。
一方、疎空間では、同じレバーを同じように引くことは難しい。
人口を増やすこと自体が現実的でない場合も多く、無理に集積を目指せば、かえって別の負荷や歪みを生むこともある。
ここで問題になるのは、二つのレバーの「どちらを使うか」ではない。より本質的なのは、どちらのレバーが先に引けるか、という制約だ。
一人当たりの価値を高めるには、一定の基盤や余力が必要になる。しかし、その基盤を支えるコスト構造が先に崩れてしまえば、価値を生み出す以前に、経済は立ち行かなくなる。
疎空間においては、まずコストの積み上がり方を、その空間の現実に合った形に調整する必要がある。それは水準を下げることでも、質を犠牲にすることでもない。設計によって、負担のかかり方そのものを変えるということだ。
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コストの積み上がり方を考えるとき、一つ避けて通れないのが、グリッド(grid)前提の設計だ。
ここで言うグリッドとは、水、電力、道路、通信、医療、教育といった基盤が、広域に張り巡らされたネットワークとして一体的に設計・運用されている状態を指す。
一定以上の人口密度と利用量が見込めるのであれば、こうしたグリッドは効率的で、信頼性も高い。都市が長らくこの設計のもとで成り立ってきたのは、合理的な理由がある。
問題は、その前提が静かに崩れ落ちていくときだ。人口が減り、利用量が下がっても、ネットワークの構造そのものは急には変わらない。
結果として、一人当たりに割り当てられるコストだけがはね上がっていく。
ここで起きているのは、無駄遣いでも、怠慢でもない。前提としていたスケールが変わったにもかかわらず、設計だけがそのまま残っている、という構造的なズレだ。
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このズレに対して必要なのは、効率を求めてさらに規模を大きくすることではない。むしろ、設計のスケールを、実際の空間や人口規模に合わせ直すことである。
グリッドからの切り離しを意味するオフグリッドやマイクログリッドは、しばしば「後退」や「妥協」として語られる。しかし、ここで言うオフグリッドとは、切り捨てや放棄を意味するものではない。
それは、前提となるスケールを修正し、負担のかかり方を組み替える試みだ。広域ネットワークに全面的に依存するのではなく、必要な単位で完結させることで、一人当たりのコスト構造をその土地が持つ現実的な余力に近づける。
『風の谷という希望』で紹介した道の場合わけや各地の集落での小規模水力発電の取り組みは、こうした設計の転換を示す具体的なアプローチの例だ。これらは生活水準を下げることでも、生活の質を犠牲にすることでもない。むしろ、設計を現実に合わせ直すことで、経済が再び持続する余地をつくる行為といえる。
ただし、上下水道や電気などの場合、周縁部分から段階的に行わない限り、かえってエコノミクスが悪化することに留意が必要だ。
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このように、疎空間が経済的に難しく見えるとき、問題は人口が少ないことそのものではない。人口に依存した設計(都市型のインフラ)が前提となり、その前提が崩れた後も、設計だけが残っていることにある。
経済は、密度によってのみ成り立つのではない。どう維持するか、すなわち空間そしてインフラデザインの問題なのだ。
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また、経済が成り立つことと、人が留まり、関わり続ける理由が生まれることは、単純な因果関係にあるわけではない。
両者は互いに条件となり合いながら、同時に立ち上がっていく。
その重なり合いの中で、求心力やレジリエンスといった、もう一つの次元の問いが立ち現れる。これについてはまた、機会を見て議論できたらと思う。
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本稿は、拙著『シン・ニホン』(NewsPick Publishing, 2020年)『風の谷という希望』(英治出版, 2025年)で展開している議論をもとに、疎空間のエコノミクスという観点から、あらためて整理し直したものである。
*1:ここで言う「成り立たせること」とは、企業経営という意味でのマネジメントではなく、社会や空間が回り続ける条件を保つという意味での management である。