本稿は従来の持続可能性の枠組みを超えた社会の存続可能性を探求するMedium連載"Designing for Viability"(存続可能性のためのデザイン)シリーズ第5回を、日本語読者向けに翻訳したものです。前号より続く。
Why survival is designed — not improvised
生存は即興ではなく、デザインされるものである

Tuscany, near Montepulciano — 機能し続ける景観
Leica M7 / Summilux 50mm f1.4 / Fujichrome RDPIII
災害と聞いて、多くの人が思い浮かべるもの
人は「disaster(災害)」という言葉を聞くと、たいてい対応(response)を思い浮かべる。緊急マニュアル、支援物資のロジスティクス、初動対応、極限状態での英雄的行為などだ。
しかし、disaster-ready は対応戦略ではない。 それは社会の設計特性(design property)である。
Disaster-ready な社会とは、 仮に災害が起きても、機能し続ける社会のことだ。
この一文が、本稿の核心である。
Disaster-ready とは何か
Disaster-ready とは、被害を回避することではない。 機能不全(failure)*1を防ぐことでもない。
それはもっと正確には、次のことを意味する。
機能不全が、社会全体の完全停止に転じないよう設計すること。
Disaster-ready な社会では、
- システムは部分的に機能不全に陥るかもしれないが、同時にすべてが止まることはない
- サービスは低下するかもしれないが、消滅することはない
- 人々は生き延びるために英雄的な行動を求められることはない
社会は機能し続ける。不完全で、不均一ではあるが、十分に。
Disaster-ready では「ない」もの
Disaster-ready は、しばしば preparedness(備え)と混同される。
Preparedness が重視するのは行動だ。備蓄、避難訓練、対応速度の向上、、これらは重要だが、いずれも「機能不全が起きた後」の話だ。一方、Disaster-ready が問うのは「構造」だ。
問いはこう変わる。
システムが機能不全に陥ったとき、何がなお機能し続けるのか?
もし答えが「何もない」なら、その社会は最初から disaster-ready ではなかったと言わざるを得ない。
なぜ現代社会は、この試練に弱いのか
現代の多くの社会システムは、効率性を上げるべく設計されている。
前提はこうだ。
- 連続的に稼働すること
- 条件が安定していること
- 想定可能な範囲での攪乱
平常時には高いパフォーマンスを発揮する。しかし同時に、隠れた脆弱性を抱え込む。
効率を上げるために高度に最適化された社会システムは、
- 徐々にではなく、突然壊れる
- 単一障害点に依存する
- 前提条件を超えると一気に崩壊する
しかし、効率は、手遅れになるまで脆さを覆い隠す*2。
災害はこうした欠陥を生み出すわけではない。
単にそれを露呈するだけだ。
だから問題は、「災害をどう防ぐか」ではなく、「露呈した欠陥を前提に、社会をどう組み直すか」になる。
部分的機能不全を前提に設計する
従来の社会システムの設計思想はこう問う。
どうすれば機能不全をゼロにできるか?
Disaster-ready な設計は、より現実的な問いを立てる。
機能不全が生じた状態で、どう生き延びるか?
ここでは、崩壊は起こるものとして受け入れる。 目標は「機能不全ゼロ」ではない。機能不全の限定である。
重要な原則は次のようになる。
- 単一障害点をつくらない
- 冗長性を層として持つ
- ローカルな代替手段を確保する
- 不均一でも生存可能な劣化を許容する
言い換えれば、 disaster-readyな社会とは、機能不全が局所に留まり、全体に伝播しない社会だ。
ライフラインは消えてはならない
ある種の機能は「利便(conveniences)」ではない。ライフライン(lifeline)である。それはたとえば、電力、通信、そして水だ。
Disaster-ready な系では、ライフラインは三つの原則に従う。
- 完全停止しない
- 破損しても素早く回復する
- 崩壊ではなく、穏やかに劣化する
これは快適さの話ではない。
社会を、生かし続けるための条件の話である。
Disaster-readyになるには、災害の種類の分類では足りない
僕たちは災害を、種類で語りがちだ。地震、洪水、火災、そしてパンデミック。
しかし、生存、生命的な被災規模を左右するのは災害の種類名ではない。 人がどう死ぬかだ。
相当に異質な災害であっても、死亡原因は多くが3つに絞られる。焼死、圧死、溺死だ*3。
これは道徳の問題ではない。設計の問題である。Disaster-ready な空間設計は、災害が起きてからの英雄的対応ではなく、予測可能な死因を事前に削れるだけ削ることに焦点を当てる。
Disaster-ready は日常の中にある
Disaster-ready は、スイッチを入れるものではない。「非常時モード」でもない。
それは、日常の延長として災害発生が織り込まれた状態だ。たとえば
- 突如グリッドから切り離されても動き続けるエネルギーシステム
- 通信帯域が急に細くなっても機能する通信システム
- 相当の機能が破壊されても動き続ける医療システム
- 精密に食料が届くことよりも、余白を持ち異常に対応できる食料システム
これらは、危機のためだけに存在するのではない。平時においても空間が受けるストレスや脆弱性も同時に下げる。
サステナビリティから Viability へ
今日のサステナビリティ議論の多くは、連続性を前提としている。
しかし災害は、そもそも、連続性を破壊するものだ。
だから、持続可能性だけでは足りないのだ。
存続可能性(viability)なき持続可能性(sustainability)は意味を持たない。
Disaster-ready な設計とは、 既存のシステムの破壊(disruption)、不確実性、様々な機能などの喪失の中であっても、社会が存続し続けるための方法だ。
そして、これは災害の話ではない
これは、地震の話ではない。
洪水の話でも、パンデミックの話でもない。
これは、次のような恒常的制約の下で生きる社会の話だ。
- 人口の高齢化
- エネルギー供給の制約
- 気候の不安定化
Disaster-ready とは、生存のための空間設計思想である。
本当の問いは、「災害にどう対応するか」ではない。災害が不可避に起きる世界で、止まらない社会をどう設計するかだ。
(参考)
- デジタル・防災技術ワーキンググループ(未来構想チーム) : 防災情報のページ - 内閣府
- デジタル・防災技術ワーキンググループ 未来構想チーム 提言
- (追記)本稿で重要な役割をなす概念「機能不全(failure)」について以下のエントリで更に掘り下げました。> Failureは「失敗」ではない
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本稿は、拙著 『風の谷という希望――残すに値する未来をつくる』(英治出版、2025) 特に第5章をもとに再構成・発展させたものです。詳しくは本書をご覧ください。