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谷本とイシューアナリシス


Leica M10P, 1.4/50 Summilux ASPH, RAW

谷本は巨大なイシューアナリシスと言うべき一冊だ。

何をやりたいという意思がなければイシューなど設定のしようがないと、イシュー本の改訂版に書いたが、意思があればイシュー(真に解決すべき課題)が見えるわけでもない。

それはいくらなんでも甘かっちゃんである。

意志はある、しかしどうやって作ったらいいのかわからない未来(目指す姿)を描くこと自体が大きな課題である際に、どのように考えたらいいのかという、谷本はまさにビジョン設定型の課題解決(problem solving)の巨大な実例と言える。

そもそもどういう問題意識なのかの見極め(e.g., 風の谷憲章)、それに対するスタンス(e.g., 風の谷文法)自体が最初は大きなイシューだ。これを明確化することから全ては始まる。このレベルの内容は、相当の見立てが必要だが、検討の進捗により見直していくことになる。

aworthytomorrow.org

なお、存続可能(viable)かつ持続可能(sustainable)な疎空間を我々は便宜上、風の谷、略して谷と呼んでいるが、憲章にある通り、谷がなくとも良い。

「疎空間」は、都会と地方(あるいは田舎)という図式では捉えきれない課題を捉えるために僕らが生み出した言葉だが、密空間、つまり都市、に対する対立概念として定義される(この二つの見方があることを見出し、片方を選ぶこと自体が大きなイシュー)。目安としては人口密度50人/平方キロ以下の空間だが、日本の場合、土地の約四分の三が疎空間に当たる。詳しくは図版1-7を御覧いただきたいが、日本の場合、国土の半分以上の土地に人は住んでいない。

また最初の段階では、似て非なる概念の多くとの関係性をある程度以上に整理する事自体が重要なイシューとなる。リゾート、国立公園、コンパクトシティ、村おこし、エコビレッジなどとの違いの議論だ。荒れ果てた地方都市の再生とも全く違うこともここで明らかになる。

それがある程度整理されても、どのような広がりで考えたらいいのかという話がある。また、そこで見落とせない空間価値を判断する視点の持ち方の話がある。これらの問い立て、問い設定の上での答えの見極め自体がそれぞれ基礎的なイシューになる。その整理結果が、次に示す第1章:図版1-12のヨコ軸とタテ軸だが説明は本文を参照されたい。この議論の延長で、軽視されがちだが極めて大切な時間軸的な意味合いも明らかになる。

更に、この谷の実現に向けて掘っていくと様々な課題が上がってくるが、この中には、疎空間には関係がない社会全体の課題が随分とあることが見えてくる。疎空間特有の課題もあれば、風の谷を「つくる」視点でなければ出てこない課題もある *1。この切り分けのナイフも必要だ。それが次に示す図版3-2になる。

ちなみに、この視点なしにはほとんどの領域はぐちゃぐちゃになることがのちほど領域別検討の際に明らかになる。この一番左の課題群は実は疎密に関係なく社会全体が抱えている課題であり、これについては都市に住む大半の人にとっても無視し得ない話となる。

まさにその視点で、第2章ではそもそも現在の人類が共通で抱えている2つの課題が整理される。それらが最も先鋭化した形で存在する疎空間で解決しうるのであれば、ほとんどの人類の空間の未来が明るくなることがここで議論される。このような視点の見極めと意味合い出しも全体論としては不可避なイシューと言える。

さらに問題意識を理解した人たちに何を留意して貰う必要があるのかの整理と、そのポイントのdeliveryが大切になる。それが第3章だ。ここで掲げたバックキャストではなくビジョン設定型の思考、エコノミクス視点、系として考えることの重要さは都市部での取り組みも含めて強調しきれないほど大切だが、多くの人がそもそも??ということが多いので、それをしっかりとしかし端的にどれも説明している。各ページに収められている情報は相当に密であり、馴染のないことの消化には時間が掛かるだろう*2

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ここまでが序だとすると(第I部)、次にこれらが総合された全体として回るということは何を意味しているのか、それは何を満たす必要があるのか、ということに対する見極めが必要になる(第II部:第4~7章)。

実際にその太い柱を見出すのはそれほど簡単な話ではない。通常、政治家マターとされ、表立って議論されないエコノミクス視点での掘り込み自体がなかなかの曲者であり、どのような視点、切り分けのメッシュ、オーダーで掘り込んだらポイントが見えてくるのか、自体がある種のイシュー設定となる(第4章)。

ここでほとんどの疎空間でEVバスなどが採算が合わないなどという問題の前のもっと根深い問題に切り込みが入る。一言で言えば、(1) 都市型のインフラをそのまま持ち込んでいる限り、疎空間のエコノミクスが改善することはない、ということであり、(2) 現在の生産性のままでは未来は暗い、ということだ。ここから2つの改善レバーがあることが明らかになる。

第2章の議論(人類の2大課題)を受けた、疎空間にとっての死活問題、レジリエンスが第5章で議論される。ここでどのような視点が鍵になるのか、それぞれどのような方向性の取り組みが必要になるのかは疎空間のパンデミックや災害に対する弱さと谷づくりの時間軸の長さを考えれば避けては通れない問題だ。

様々な土地の課題と向かい合う一方で、個別の領域検討をしながら、再度持ち込まれた視点もここに出てくる。ここでは開疎、Disaster-ready、NBOという極めて大切な概念が登場する。

エコノミクスの収入サイドの変数である求心力、価値創造視点の議論が第II部の後半になる。こここそが第II部の華というべき内容であり、「三絶」「サンゴ礁」という二大概念が鍵になるが、これは読んでからのお楽しみということにしておこう。

このようにビジョン設定型の課題解決の場合、数多くの新規の概念なしに目指す姿を掴むことは困難だ。疎空間がその一つであり、つなぐ道とつながる道、グリッドの枝刈り、逆土木、開疎などなどだ。したがって、これらに適切な名前を与えていくことも大切な活動になる。これら新規の概念の見極めと命名も振り返れば、どれも大切なイシューだったと言える。例えば、「サンゴ礁空間」という概念なしに、谷を考えることは不可能だろう(第7章参照)。

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ここまでの全体観だけでおなか一杯に感じるかもしれないが、実際には、個別領域にその見えてきた太い命題を当てはめていくということは何を意味するのかをしっかりと考えないことには、viableかつsustainableな疎空間を生み出すことはできない。

これを、人間と自然、土木インフラ(道、上下水、ごみ処理)、エネルギー、ヘルスケア、教育、食と農、空間づくり、それぞれの広がりにおいて、どのように考えたらいいのか、を考えるというのが次のステップ(第III部以降)になる。

各領域はどういう広がりとして考えるべきであり、どのような価値をデリバーすることがミッションなのかの見極め自体が大きなイシューになる。これをあまり深く考えずにgivenで、例えば森であればただ林業と獣害について考えるために問題が解けなくなる。またインフラの定義や場合分けもここでは必要になる(その時点ではそれがイシューになる)。

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その上で、各領域において基盤となるべき知識や、系を回す視点の抑えどころの見極めも大切になる。2017年年末に始まった谷活動が、2018年に少しずつ領域別検討を始めるようになり分かったのは、これが驚くほどまとまっていないということだ。世の中の専門家たちの領域の捉え方が相当に細分化されているため、その面でも随分とどの領域でも苦労した。

例えば、基盤インフラは道、橋梁、トンネルなどハードコアな土木系と、水利用の全体、灌漑、上水道、下水道、ゴミ処理等は専門により激しく分離されている。また例えば、医学書やwell-being、社会保険料の分配についての語りは多いが、それを超えて健康とはなにか、ヘルスケアシステムを俯瞰するということは通常行われない。

それを敢えて、専門書や論文、様々なプロからのインプットを通して全体を学びつつ、あえて初めてその領域を見たかのような視点で勘所を押さえていく。多くの場合、これ自体がなかなかのことになる。

例えば、エネルギーの章(10章)冒頭の基礎となる視点と書いて数ページにわたって書いているものを、我々なりに取捨選択しつつ、全体感を把握するのは相当のプロセスだった。領域の専門家たちはこれらを空気的な所与(given)としているためにそもそもまとまっておらず、どの領域も相当の時間をかけて理解を深めてきたというのが正直なところだ。教育分野など、分野によっては、重要性の一方でそもそも所与とすべき基盤がはっきりしないまま議論されていることも多いことが次々と明らかになった。

この過程で、例えば道や土木の基礎だと次のようなもの(先ほど自室のある棚を撮影)をざっと見つつ学び、更に様々に飛び散った公的情報などを掘り起こしながらつなぎ合わせていくことになる。

ちなみに、それぞれの専門書は例えば、ここにも写っている「道路土木要項」(道の世界の基本書)一つとっても6930円とかする。*3

以上の基礎的な部分で終わるわけでは当然ない。各領域ごとにどのような状態が疎空間であるべきなのかの見極めが必要になる。その前提として、現在何が課題であるのかの見極めも当然必要になり、第II部で整理した4つの視点も頭に置きつつの検討になる。当然のことながら、どの領域でも、我々のような4条件の視点を持って、疎空間についてフラットに検討している人がいないために、基礎分析から必要になるケースが大半だ。

この過程で見えてきた分析結果はいずれも興味深いものが多く、谷本を読む最大の楽しみの一つだと思うので、ここでは掲載するのをやめておこう。土木と教育のような一見かけ離れた領域の分析を並行して行っているからこそ見えてきたことも多い。レジリエンス課題、土木、森、食料生産を同時に考えることで見えてくること、これを感じていただくのはこの本を読んで頂く最大の喜びの一つになるのではないだろうか(少なくとも検討してきた我々の大きな喜びのもとであった)。

そこから見えてくる疎空間における森と水、インフラ、エネルギー、教育、ヘルスケア、食と農のあるべき姿は、通常、都市型社会、関連産業のみの視点から言われているものとはかなりかけ離れていることが明らかになる。

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最終的に第IV部に移した空間の章(第14章)は本当に巨大で驚かれる人が多いだろう。2段組で138頁あり、実際ここだけで9万字、つまり新書1冊分ある*4。しかも図版も57枚とどの章よりも多い。何を議論してきても結局のところ空間という器(うつわ)に流し込む必要があり、景観デザイン(landscape design)、土木(civil engineering)、建築/物理設計(architecture)、都市計画(city planning)、クリエイティブ(creative direction)などの広範な専門家が様々に知恵を寄せ合い、アウフヘーベンした内容だ*5

僕らがどのように疎空間における「空間」とその関連課題を捉え、どのようにアプローチしたのか、これ自体が高度なイシューアナリシスそのものなのだが、それを合わせて味わって頂ければと思う。多くの都市計画はいきなりここばかりが議論されるが、疎空間の再生に向けては、ここまでの骨格的な議論なしには上っ面のどうでもいいことばかりが議論されることになるのは言うまでもない。

本章では谷づくりにおいて、最も大切な取り組みと言って良い「土地読み」について体系的に整理する。またつくね型とぶどう型、空間フェロモン、3つの間(ま)、抗体構造、Hackable、土着×モダンなど谷における空間づくりの鍵となる数多くの概念を紹介する。

泣く泣く割愛した内容もあるものの、おそらく本当にこのテーマに悩んでいる人が読まれたときの味わい深さは格別だと思う。実際、東大景観学教室出身で、景観デザインのある分野を代表する方に、事前に読んでいただいたが、かなりの驚きと喜びを持ったfeedbackを頂いたことを付け加えておきたい。

本検討に対して想定される批判への応答も本章では触れている。端的に言えば、現実を直視せず、非現実的な前提で動いているのは、現在の疎空間だということだ。

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最終章である第15章は系として、ここまで紹介した谷検討全体を取りまとめるとても濃い内容になっている。ここまでをしっかりと読まれた人であれば相当に深く味わっていただけるだろう。谷化のガイドラインもここと巻末資料で整理する。現在、表層的に議論されがちなモビリティやコモンズ論はここで登場する。系として考えねば考えようのない課題だからだ。モビリティについては、どのような人たちが、どのようなインフラを前提として、どのように時間を使うのかの視点がなければ考えようがない。ここまでを読んできた人だけに味わえる喜びがそこにはある。よく聞かれる初手についてもここで触れる。

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本書は巻末の索引を眺めるだけでも楽しい珍しい本だと思う。

ちなみに、あとがきにも書いたが、第III部(第8章)以降は章ごとに極めて専門性が高く、新しい章を書き始めるたびに「この絶壁を登るのか」と途方もない苦痛を感じたことを付け加えておきたい。

書く当初からわかっていたことは、各章の読者は本物のプロになるということだ。だが、そのプロは隣の章に行けば素人になる。そしてその読者はプロの目で自分のわかる章についてコメントすることになるのだろう。実にきつい縛りである。しかしながら、誰かが通しで整理して分析し直し、統一された文体でまとめなければ、これほど広範な内容をreadableにし、redundancyを削りつつも、相互参照的にすることは難しい。そういうわけで本検討の発起人である自分がこの18ヶ月、土日も、祝日も、正月も朝も夜もなく取り組み、まとめたものがこの一冊になる。

どの章も各領域のプロの仲間がそれなりにコミットして検討してきた内容ではあるが、それでもどこかで地雷を踏む可能性がある。それでも、都市集中型社会に対するオルタナティブをもし生み出そうとするなら、今なんとしてもまとめる必要がある。たくさんの仲間たちの努力と熱中、そしてきらめくインスピレーションをなんとか届けたい、彼らの顔に泥を塗るわけにはいかない、その一心でこの本をまとめました。

どうかそういう本だと思って手にとっていただけたらとてもうれしいです。

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これだけをカバーしていることを考えれば、厚いは厚いが極限的に薄い、が正直なところです。風の谷の基盤というべき森と水の循環(自然と人間)を扱う第8章でもたった68ページ、教育という重いテーマでも80ページに過ぎない。ただ全体が一つの系であることを正しく理解していただくにはどうしても一つのまとまりにいれる必要があり、一冊にすることにこだわりました。ハンディさが必要な場面は電子版もあります。ここでも分離していないことがとても大切です。

ここまで広いテーマであれば、第III部以降は毎週1〜2章、心のスピードで読めば十分です。このペースを守って読めば、全体像はむしろ見通しやすく、読破できる手応えがあります。途中で色々調べたくなったら、それは図書館に行くなり、追加で本や論文を読むなりして寄り道すればいいでしょう。

一気に読んだという人は気にしなくていいです。こんな広い範囲について専門性をもって理解している人は普通いるわけがないので(なので書くのが実にしんどかった)。その方もまた戻ってきて、何かをきちんと理解し直す必要があることは間違いないです。

ちなみに値段については、森林学、水文学、土木、空間デザインなど各分野の基本書を揃えれば分野ごとに数万円はすぐにかかる。それを理解する時間と手間は更に重い。しかも地方の問題を扱いつつ、領域ごとにゼロベースで捉え直し、対象を疎空間に定めてここまで横断的に論じた本はまずないことを考えれば、十分妥当な価格設定だと思うがいかがでしょうか?

だからこそ、手元に置き、必要なときに開いてほしい。ページをめくるたびに、きっと新しい景色が見えてくる。むしろ、ゆっくり読んで寄り道して戻ってきて……その繰り返しが、この本との正しい付き合い方なのではないかと思っています。

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この一冊が、残すに値する未来への小さくも確かな一石となることを、心から願いつつ。

 

 

(参考)
kaz-ataka.hatenablog.com

kaz-ataka.hatenablog.com

note.com

*1:即座にはできないという意味で、我々はcreatingではなく、cultivatingという英語を当てている

*2:すぐに分かったと思った人はわかっていない可能性が高い

*3:巻末に相当数のreferenceを紹介したが、大半が英語論文になる。本プロジェクトの関係者用に共有している基本図書は約400冊に及ぶ。

*4:新書は通常8-12万字

*5:内部事情的には、空間デザイン班、インフラ班、建物班、生活オフィス班、まち商業班、サンゴ礁班という歴史的に6つの班で様々に検討してきたものを束ねたものになる。




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