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スーパーマンはいらない

 

お仕事でスーパーマンは必要ないというのが持論である。
だって大変だし。だれかが一人で頑張るのはつらいことだから。

 

上司がスーパーマンである必要はない。
なぜなら辞めたら、次の人が新しいスーパーマンにならなきゃいけないから。

ヒーローやら社畜やら別な単語でもいいのだけれど。

 

最初は貢献から始まる。ささやかなボランティアやお手伝い。
それがだんだん必要な犠牲へと変わっていく。

だれかが犠牲にならないと回らないなら、たぶんそれは破綻している。
犠牲を求めようとしても無駄である。だって誰も犠牲にはなりたくないし。

 

いろいろな犠牲の上でヒーローやスーパーマンは成り立つ。
だけど、そんなものに誰もがなりたいだろうか。

 

じゃあどうすれば?というと、仕組みかなと思う。システムだ。運用だ。

だれもが無理なくやれる形で、動ければいい。それで成果が出ればいい。
そう思うのは夢物語なのか、どうなんだろう。わからないけれど…

 

社会としてどっかのだれか、スーパーマンにおんぶに抱っこはやだなあと思う。
だれかが頑張ってくれと祈ったり、求めてもいいとは思うが…

 

昨今、なんだか世の中息苦しい。人生に求められるものも重たくなってる気がする。
みな背負いながら働く中で、他人にそこまで期待して背負わせるのもね。

自分にもその重みはいつか返ってきそうだし。

 

競争社会であることは悪いことばかりではない。
だれもがスーパーマンになることを強いられるわけでもない。

そういう社会じゃないといいなと思うわけです。

 

ちょっと世の中忙しすぎるし、他人に厳しすぎますよ。
たぶんSNSやら情報社会で「見せかけの平均」が目立つからだと思う。

 

自分の見える、情報発信されるものばっかり注目を浴びてしまう。
その結果人々の理想が高まっていき、それに自ら疲弊していく。

自分も他人も理想ばかり見て、比較してばかり。あれこれできないことばっかりだ。

が、そんなのはやってられないので。あれこれせず、無理なくやっていきたい。

 




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