以下の内容はhttps://kayanomi.hatenablog.com/entry/2025/09/01/210151より取得しました。


ゆらぎ

 

手作業で作られた、一品物。そこに芸術的な価値がつく。
二度と同じものは作られない、そういうことで。

 

これに関して自分は反対な立場。ランダム性はある程度コントロールされうるから。
工業製品の場合、ランダム性は制御されるべき不確定要素だ。均一でありたい。

 

現代の芸術的価値は、本来の美的価値からは遠ざかってしまっているように思う。
単なる美しさではなく「機会」「文脈」「見る側との相互反応」みたいなのがある。

美しさは容易に真似できるものになってしまった。(最悪な言い分だけど)
デジタルで再現できるし、加工もできる。写真を撮れば絵よりも”現実的”だ。

今では3Dのスキャンもできる。非破壊で箱の中を透視する能力だってある。

 

「美しさ」の価値の差別化が非常にしづらくなっている。
非常に多くのものが写実的に、なおかつ工業的に大量生産できてしまう。

だからこそ、資本主義的に「価値」を相対化させるために「一品物」が生まれる。


だが、本来的には「一品物」かどうかで美しさは測られるべきではないのでは?
ブラインドテストなり、専門家目線がどうとか、一般社会の評価とか…

いろんな評価軸があるわけだから、「美しさ」という「価値」は測りづらい。

 

一品物が良いなんて価値観はいらないと思う。

「希少価値」はあるのかもしれないが、そんなもの幼稚園児が純金で落書きしても生まれるんじゃないか?アインシュタインが子供の頃に落書きしたり傷をつけた机だってで欲しがる人がいるのだろう?その机が美しいかどうか関係なく。

どれが雲かな

これは自分が撮った空だ。いい写真でしょ?でも価値がないことはわかっている。
写真の専門家からすればあーだーこーだ言われるものだ。

でも、自分は好きだ。この空は「一点物」だからいいとかそんなんじゃない。

 

自分の心がいいなと思って撮った記録だから、いい。価値を見出すのは心だ。

 

この世に真実などない。…というのは、マトリックスから。
現実とは脳が解釈した電気信号に過ぎない。色だって、人によって違う。
あなたの目は(まだ?)一品物だから。

私達は相対的にしか物事を見ていないかもしれない。
絶対的なものを見れないかもしれない。あると信じ込んでしまうけれど。

いつだって揺らぐのは自分の心だ。フィクションの話は嫌いですか?
現実を元にしたリアルなドラマが好きですか。脚色はお嫌いですか。

 

自分はリアルとか絶対がないという不確かさがこの世ではないかと思い始めている。
リアルだと感じているのは自分の心だ。現実は自分が解釈した心の鏡だ。

風景をきれいだと感じるなら、それは自分の心がきれいだと感じられる状態だから。

一人ぼっちで1年以上太陽を見てなくて、くらーい午後に、ふと雲の裂け目から光が差し込んだら、永遠と上を見上げて、ただ呆然と過ごすか。

はたまた「どうでもいいよそんなの」と、とぼとぼ下を向いて歩くか。

現実に揺らぎがあるのではなく、自分の心の解釈にゆらぎがあると思いたい。
芸術に関してはね。




以上の内容はhttps://kayanomi.hatenablog.com/entry/2025/09/01/210151より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14