根本的な人生の負い目の一つ、それは高度な技術や知識から逃げてきたこと。
言ってしまえば大学数学と物理、それにコンピュータの基礎、電磁気学。
そういったものから逃げ出した負い目がある。
学びきれないと感じたのか、授業がわからないということにしたかったのか。
受験勉強以上に大学数学は説明が足りていなかったように思う。
まあ、探せばよかった気もするし、もっと真剣に立ち向かえばよかったのか。
ただ、立ち向かいきれなかった。なんだろうなあ。すねてしまったというか。
結局のところ、高校数学までのお膳立てされたお勉強ってやつに慣れすぎてた。
受験勉強は巨大な学習ビジネスだ。攻略され尽くしてるというか。
本質的な知識ではなく、パズルやひねくれた問題だったと思う。
受験生たちは回りくどい、初見殺しの罠を回避する知恵ばかり追い求めていたような。
あるいはバッティングセンターでひたすら練習しているような。
それが大学になって知識の学び方をきっと、わかっていなかった。
本質的に難しいものに向き合って学ぶという覚悟と姿勢を身に着けられなかった。
それが一番の負い目だ。今までが簡単に立ち向かえすぎてた。
ちょっと1~2週間、それも2,3時間でわかってくるような。
そんなものばかりじゃ大学レベルの学習にはついていけなかった。
もっと真剣に、土日もずーっと使って、
いっそ1ヶ月悩み続けるぐらい向き合えばよかったのだ。
一人で、孤独に、誰にも合わずにずっと参考書が教科書に向き合う。
それがひどく不安だった。大学新生活、友だちができるか、なれない一人暮らし。
そういったもので、手っ取り早く単位をとって、周りに合わせていたかった。
なにもかもが怖かった。ま、そんなに恐れていても結局自分は孤立していた。
ああ、もっと恐れずに、たった一つの問題にさえ1ヶ月かかってもよかったのに。
今思えば、書いていてわかってきたことがある。
自分がわかるかどうか、きっと不安だったんだと思う。こんなに学習に時間を使ったことがなかったから、正しいのかわからなかった。自分がアホであると認めたくもなかった。
経験不足だったというべきか。なんだろうなあ。
たぶん軽装で山登りをしてしまったのだろう。今までは学校の階段とか、神社の長い階段とか、地元の長い坂とか…そういうのばかりだったのかも。
本当に難しい専門的な知識を理解するには、
一人で、暗い夜道の目印もない中で、計画を立てて山登りをするようなものだ。
ちくちくと、自分がどっちを向いているのか、ちゃんと整理して、
どこにいるか測定して、自分で地図を書いて…
正しいか不安になりながら登るしかない。
だから、自分はずっとちゃんと山を制覇できたという実感のないまま大人になってしまった自分を心から恥じている。
真剣さを欠いたまま、簡単に理解できるようなものだけでコーティングして生きているようなものだ。
本当は中身のない人間のように思う。
山を登らない理由・登れない理由に忙しさなんていうのは、やはり恥ずべきことだ。
いつか、きちんと山を登る必要がある。
なんだか修行というか、試練みたいなものだね。
夏休みの、大人の自由課題として取り組めたらもしかすると素敵なのかも。