夏目漱石の夢十夜では、第六夜がお気に入りだ。
彫刻の話。木を削って作り出すのではなく、木の中に埋まってるものを掘り出すだけ。
つまり本物は埋まっていて、それを丁寧に見つければいいという話。
で、主人公がやってみてまったく掘れなくて、そもそも明治の木には本物なんて埋まってないんだと悟る。
これをAIと見ても、まあいいんじゃないかと思う。
巨大な電子データの山から、人間らしさを削り出す。知性というものを定義する。
けれど、そこに人間が求める人間らしさは果たしてあるのだろうか。
精神性だとかスピリチュアルなことを言いたいわけではないけれど。
人間が理想像を追い求めることは間違っていないか。完璧な知性は存在するのか。
このインターネットに溢れている情報は、ただの写し鏡だ。
ある時点で、ある人間たちが行動した結果でしかない。
脱ぎ捨てた殻のようなものだろう。
テストの問題、画像認識、問いの解釈、発想…
いろんなものを求められ、それにAIは上手に適応し、進化しているように思う。
けれど心の側面、人間らしさっていうのはどうだろう。知性ではないかもしれないが…
もしAIに人らしさを求め、理想の人格をみなが定義しようとしたとする。
けど、それはたぶん千差万別の歪さを持ち合わせると思う。
最近のChatGPTは人間に不自然に優しすぎた。持ち上げすぎた。
お膳立てして悪い気持ちになる人間は、まあ少ない。否定しようとも、心の何処かでちょっと喜んでいる自分がいる。丁寧さ、礼儀正しさは、マイナスにはなりづらい。
それがいいという人もいれば、過剰な丁寧さを嫌う人もいる。
なにが心地よいと感じるかは、自分の心の形に沿うかどうかじゃないか。
心の形はみな歪んでいる。だから、求めるものもきっと歪む。
きれいなものを掘り出す必要はきっとないんだろう。