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書き続けること。

 

新春あけましておめでとうございます。

今年もよろしくおねがいします。

新年早々ここで記事を書かないと、どうも先が続かない気がする。

 

自分が発見した事実について書こうと思う。

ブログを二年続けてわかったことだ。まあ、ずっとわかっていることだが。

 

ブログ記事に比例してアクセス数は増える。

ただ、これだけだ。

 

これは本当かな?と疑う人も多いと思う。必ずしもそうはならない?

たくさん読む価値のない文章を書いたところでアクセス数は増えない。

だから本当にいい記事を厳選して書いたほうがいい…。

 

そう思いがちだが、一般的にブログ記事を書くのは本当に骨が折れる。

文章を書くというのは、独り言を言い続ける作業のようなものだ。

誰かに向かって書くというより自分に「なにを書く?」と聞き続けるようなものだ。

もちろん誰かに向けて書こうというときもあるが、相手は返事もしてくれない。

 

文章を書くのは会話よりずいぶん疲れる作業のような気もする。

会話は往復があって、そのぶん休憩したり予期せぬ刺激に元気になったりする。

が、文章は基本的に一人で書くものだ。

スピーチの文章を書くのに苦労したことはないだろうか?あんな感じだ。

 

だからなるべく書くというのはいいことだ。

苦労することを人間はあまり続けられない。走っている最中に止まると疲れる。

 

 

そしてもう一つ。いい記事というのは自分が思ういい記事ではないということだ。

いい記事かどうかは読者が判断する。自分ではない。

 

自分の記事を書かなければ、来てくれる人はゼロ人だ。当然だが。

だが、書けば可能性はゼロではない。その可能性を積み上げることが大事だ。

 

同じように見える記事でも、人や時間によって解釈が変わり、評価も変わる。

だから多くの記事を書くことは、実は巡り巡ってアクセス数を増やす可能性になる。

 

 

また入り口を増やすきっかけにつながる。多くの人がブログを読みには来ない。

記事を読みに来るのだ。なにか情報を読もうとする。ただそれだけだ。

そこからいい情報だと思われると、読者になってくれたり、たまに見に来てくれる。

多くの情報を書く人には、多くの人が来てくれる。そんな感じだ。

 

自分が想像もしない形で訪れていろんな記事を読んでくれる人も案外いるのだ。

アクセス解析はたまにそれを教えてくれる。

たくさん記事を書いているとそういうのを見るのが意外と楽しい。

辺境のお店にわざわざ足を運んでくれたお客さんをニコニコ眺めるようなものだ。

 

 

コンテンツを作ること全般に言えることだと思う。

もうひとつ。水清ければ魚棲まず。ある程度散らかった文章も悪くない。

そう思ったほうが、適度に記事が書ける。

 

悪い文章は自分の成長の餌にしてしまえばいい。

だめだなあと思うなら、それを書いた上で次はいい文章をと書いたほうがいい。

次にきっと自分は書けるはずと寝てても成長はあんまりしない。

 

 

じゃあ書いてないのにたまにポンッと書いて成功する人はなんなのだ?

それは、文章を書くというジャンルで成長したのではないと思う。

 

きっと別なところで鍛えた結果、それをうまく文章に変換できただけだと思う。

話すのが上手い人、きちんと仕事の整理ができること。そういうものも変換しやすい。

人にうまく説明できる人も同じようなものだ。案外文章を書くのに似た技術は多い。

 

 

まあ自分も成功なんてしてないが、それでも続けるのは楽しい。

こうして書いていることが、なにかの役に立っていると思っている。

だから書いている。それを続けようと思う。




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