自分の気にしていたことが、相手の"大変さ"によって、少し助走すれば飛び越えられるハードルのように感じられる。自分の考えていたことなど、相手からしたら小さいことであるのに、自分は何を気にしていたのだろうと、自分まで小さくなった感じがしたり、すまないと思ったりする。
小さいころに自分だけ"あたりくじ"を引いたとき、友だちからうらやましがられ、あたりが出たことは「良いこと」であるはずなのに、相手にとって「良くないことをしているような」気持ちになったときに似ている。
たまたまそうなっただけであって、自分がどうこうできることではないのに、自分だけにきっかけがあるはずだとそのときは思っている。お互いのこれまでの背景や"なりゆき"によってそうなったことも、いかにも自分だけによってもたらしたものだとと信じてしまう。
「たまたまそうであったこと」を共有できずに話してしまうと、何やらどちらが得をしているのか、という問いによって判断しようとして、自分にとってその場はいたたまれないものになったりする。だからたまたまそうであったことが同じような人たちの中に居たいと思うときがある。