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声はとどまり文字は待つ

人の声というものを何回も聞いていると、本人の声がないところでも、自分の中でその人の声を再現できるようになる。まったく同じではなく、あくまで似たような声だろうけれども。図書館でおこなわれている絵本の読み聞かせに子どもと何年も行っているが、そこの読み手の何人かの方の声がそうだ。自分が子どもに読み聞かせているときに、その人たちの声が耳の奥で聞こえて重なるような感覚がある。

誰かのラジオを聞いていて、その人たちの声を思い出してくださいと言われたら思い出せる。その人たちの声は、私の耳元でその人たち自身の声で何かを話し始める。

自分と話していた誰かからの、気になる言葉やうれしい言葉を思い返すとき、私たちはその言葉だけを繰り返すだけではなく、その言葉を話した誰かの声を聞いてはいないだろうか。

文字はいつまでもそこにあって、読む人を待つ。いつでも読み返せるし、見ることができて、そうしながらあれこれ考えることができる。声は文字のようにかみしめることができないと思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。


今週もラジオを更新しています。

EP.9 個人的なことの話にもやもやする - 忘却ラジオ | stand.fm

EP.10 書いて話して捨てるとどうなるか - 忘却ラジオ | stand.fm

EP.11 まずは相手を知ろうとすることはできる - 忘却ラジオ | stand.fm

EP.12 なぜ過去のもやもやを話すのか - 忘却ラジオ | stand.fm

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