どのあたりが大袈裟なのかと聞いたところ、昨日のことを今日になっても考えている部分ということらしい。それは大袈裟ではなく別の言葉があてはまるのではと思いながら、その人にとっての大袈裟はそういうことなのだと納得した。
自分自身に省みることがあったのでそれを共有したものの、それが大袈裟であって、本人にとってはもう過ぎたことなのかもしれなかった。とはいえ、私が普段言っていることは逆のことをしたので、言っていることとやっていることが異なっており、それらは合わせておく必要がある種類のことだったので、わざわざ日をまたいで話をすることにした。
取るに足らないことであれば、大袈裟であるという時点で終わっているところを、大袈裟とはどういうことかと質問し、相手もそういうことを煩わない人だから答えが返ってきて、それは大げさであるという時点で終わったときよりも、ずっとそれならわかる、と感じたひとときであった。
こういうことをやっていけば、日常のもやもやを少なくすることができるだろうが、すぐにそのような方向に持っていけるともかぎらないし、また、繰り出すのは時と場合による。