相手と自分、理想と現実、自分と社会の葛藤に何をするか、何ができるか考えることは、自分にとってはときに痛みを伴うが、考えることをやめたらそこで終わる*1。考えることをやめれば考えることの痛みはないが、何も変わらないことへの痛みはある。なるようになるというのはそうだけれど、そのことへ自分が具体的に与することにならない。何も変わらないことへの痛みよりしばし、考えることの痛みを取る。
私に聞いておきながら、相手がそのことについて何も言わない、相手に聞いただけの状態はフェアじゃないと思うことがある。なので、相手は私自身の話を知りたくないかもしれないし余計かもしれないが、私はこうなのですが、あなたはどうですか、と前置きが長くなったりする。もしかすると、相手は自分のことについては話をしたくないかもしれず、したくない話はしなくていいはずだが、ほんとうにちょっとした日常のことだったのでそう感じたのかもしれない。
フォローするポッドキャストの番組が右肩上がりしている。だから自分の趣味ではないカバーアートがずらっとあるが、それが自分から遠いところにあることを知る、ということなのであった。ポッドキャストを友人に勧めたら、ヘビーユーザーになっていてお礼を言われた。
*1:考えることをやめたら…はポッドキャストの番組内での言葉