自分は"たいしたことはしていない"と思っていても、案外たいしたことをしているのかもしれない。この高温の中で過ごしていること一つとっても。気づくとほろろになっている身が持ち直すことも。
小学生のころ、通学路に大きなシベリアンハスキーのいる家があった。そのシベリアンハスキーは、小屋の前を通るたびに吠えてくることで有名だった。小屋といってもシベリアンハスキーがすっぽり入るわけで、幅一メートルは超えるようなもはや檻のようでもあった。どんなに忍び足で通っても私たちを嗅ぎつける。いつどのころあいで吠声が聞こえるのかわからない。吠えるまでにうなってくれるとこちらも準備ができるが、そうでないこともあって余計に恐ろしかった。今日は激しく吠えられた、今日は散歩に行っていていなかったと、もはや運に左右されており、そこを通らなければ自分の家に着かないのであるから関門なのであった。
喉を震わせながら発せられる濁り気のある音は、私の背が伸びるにつれ聞くことが少なくなった。小屋にシベリアンハスキーはいるのに、吠えてこないときもあった。
ある日、小屋からシベリアンハスキーはいなくなっていた。その次の日も、そのまた次の日も小屋は空だった。