出かけたくないけれども出かける。私たちはそういうことができる。やりたくないことをやらなければならないときにはやる、それは恐ろしくもある。
やりたくないけれどやるというときに、心身への打撃が少なからず私にはあり、いくつか矛盾がありながらも"それなり"にやっている自分について、器用だと思ったことはなかった。やりたくないに囲まれながら、もしくはそれを隅に寄せながら、気持ちとは別のことができているというのは新鮮な驚きでもあった。
どうやってもすぐにはできない理想があり、目の前のことに空しくなって割り切ろうとしても、理想を捨て去ることが割り切ることではない。葛藤はあれ、やりたくない理想とやらなければならない現実を両輪に据える方が私には合っている。