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妬みながらも敬う

妬みはあたりまえのようになっていたけれど、どこかでその対象を尊ぶようにもなった。

それによって自分は危うくなるから見ないようにするのではなく、すごい、うらやましいから、どうやったらそうきわまるのかを知ろうとする。妬んでいる自分も妬みの対象も、どちらの周辺もその成り立ちもひっくるめて、仮にでも訳をつけてみる。

妬みという感情が直訳だとすると、妬みという感情が意味することは意訳となる。あれこれ思いを走らせて、勝手に、過去の国々にあった出来事と結びつけたりする。そうすると点しか見ていなかったところが地球儀のような形を帯びて、その妬みが小さいことのようになる。妬みがまったくなくなることにはならないが。

自分が何をどうしようとその対象に変わることはできず、自分にないものを手に、自分にできないであろうことをすること自体を敬う。

おそらく自分のそうでありたいがはっきりしてきたのだろう。妬んで妬んで妬んではみたが、その妬んでいることがほんとうに自分にとっての価値あることなのか、妬む中で幾度となく自問した。妬みも去れば尊ぶことになる、のかもしれない。




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