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偶然のコラボレーション

外傷は見えたとして、内なる傷は見えない。自分だけが傷ついていると思うとき、たしかにその傷ついた出来事は自分だけのものかもしれないけれど、自分以外の誰かにも傷つくことはあるだろう。言葉にしてもしなくても、心情や感情は実態として目には見えるものではない。自分の体という器の中にどれだけのものが入っているか、自分でも取り出しきれない。

たまたま誰かと出かけていて、そのときに何かを見てふと思い浮かんだ言葉に、自分がずっと話したかったのはこういうことだったのだと、どうして話したいと思っていたのにと話せなかったのかとなる。いろいろな条件が重なることで、自分はその言葉を引いたわけなので、話したいから話せるわけでもなくむしろそれなら唐突になるし、そういえばと何かに紐づいてきた話は、誰かとその何かを共有しているときほど自分も相手も実感的になる。

だからこれを話したいからと誰かに会っても肩透かしになるときもあり、話すことは決めていないが流れで話に花が咲くときもある。用がなければ人と会ってはいけないなんてことはないので、その偶然のコラボレーションを巻き起こすまでである。




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