相手の事情をわかっていなかった言動を取ってしまうことはあり、また自分が取られることもある。説明するだけの時間がないことも多く、すすんで知ってもらいたいわけでもない。
誰しも自分の環境ですら自分には見えているのは一部であるのなら、相手も自分も"わかっていない"状態が起こるのは茶飯事なのかもしれない。
若いおサカナが二匹、
仲よく泳いでいる。
ふとすれ違ったのが、
向こうから泳いできた年上のおサカナで、
二匹にひょいと会釈して声をかけた。
「おはよう、坊や、水はどうだい?」
そして二匹の若いおサカナは、
しばらく泳いでから、はっと我に返る。
一匹が連れに目をやって言った。
「いったい水って何のこと?」
デヴィッド・フォスター・ウォレス著、阿部重夫訳「これは水です」より引用
自分がわからなかった、相手にわかってもらえなかった、そのどちらもそれぞれに見えていない、見ようとしても見ることができないものがある。それに気づくだけで、違和感はなくならないが一度納得はできる。
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見ようとすると見えるものもあるにはある(過去記事)