どこを見たらいいのかと考えながらオンラインで会話をしている。相手の顔は見れるのだけれど、自分が話すときにあまりまっすぐを見ていない。自分はどう見えているのかと、端にいる自分を見ながら話していたりする。自分の顔はどうにかならないのだろうかとスクリーンを凝視したところでおそらくどうにもならない。
どのくらい動いたら自分の身が持つのかわかりかねている。自身からの信号の受信が空振りをする。こういうときにこうなるのだというパターンだけは集まっていて、次は気をつけようとしてすっぽかしている。無理をしないようにずらせることは先延ばしである。
切った木の枝を引っぱって離すときの手への重さをかみしめる。枝の先のいくつもの葉のくねりは芸術である。もう木には戻らないからなのか、人為を感じさせないからなのか、どの枝よりも際立って空に向かっている。