演劇の客席にて、誘いのあった知人から目が離せないとはいえ、あまりに見ているとなると、相手に長く見ていると思われていないか気になる。だからその人だけを見るのではなくて、適度に視線を外している。これが知人だからというわけでもなく、友人とか、むしろライブなどでそうなってしまう。ステージとの距離が近いならばなおさらで、ほんとうはそのアーティストだけ見たいのだが、"一点を見つめる自分をその人に見られているかもしれない"という自意識から私の視線は定まらずふらふらとしている。たとえばステージのアーティストは、自分のことなんて見ていないのだろうが、見ているかもしれないというわずかな期待に囚われることもなく囚われている。
自分のことについて難しいと思われることでも、わずかな可能性をどこかで諦めきれていないときがある。結局難しくて、しかしどうにかできたのではと、へろへろと考えている。「無理なものは無理」ときっぱり割り切れる往生際の良さは、今は無理だ。そうはいっても、この"今は無理"だというのが、その感触なのだろうか。
どうにかしようとしてどうにかできる自分ですらやっとなので、誰かのことなんて割り切れなくて当然かもしれない。