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充実を運ぶ

予定のない日は朝から眠くなる。やれることはいろいろあるが、ある時間までにどこに行くという予定がないだけで、身体の突っかかりがなく"でろん"としている。この眠気は歓喜によるもの、としてもおかしくはない。

金木犀の香りのあった日となくなった日の切れ目はどこか曖昧だ。昨日は香る、また今日も香る、そういえば香らない、と気づいたときには花はしぼんでいる。今日は香ったのかそうでなかったのか、金木犀を思っていなければすぐに見失ってしまう。街の川を泳ぐすばしっこい魚を目で追っていて、気を抜くとすぐに逃げるようにいなくなるかのように。金木犀というものは、そのような細心をもってたしなむものなのだろうか。

その点、桜は思われている花である。開花予想から始まり、見ごろはいつか、この雨で桜も散ってしまいますねと、どこもかしこも桜づくしになる。

誰も表立ってしないのなら、私が開花予想などをしてみてもいい。金木犀であろうと、モクレンであろうと、トケイソウであろうと、知らぬ間に散っていく花や草を思って、香るか香らないか、咲くか咲かないかを見続ける。それは充実という言葉では表せないものを運ぶようでもある。




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