「真面目すぎるんですよ」「そんなに適当にしなくても」。「早く決めてください」「浅はかですよ」。私と知人のおそらくの心の内である。自分を貫くことがあっても相手に気を遣って相手の苛立ちを和らげているつもりだったけれど、「そういうところ」が癪ということもある。
はっきりしない相手を見て困ったもの、そこにいつもの自分が透けて見える。相手を見ているようでそれはいつもの自分であり、相手から見た自分はこんな感じなのか、だとしたらそれが気に障った相手の事情もまたしかりだった。
こう書くと冷酷なようであるが、自分と相手の需要と供給が機能しているから関係は続くのであって、それらがなくなったらそれまでのつながりはあれど、ただちに友人知人と言葉を交わすこともなくなるのかもしれない。
お互いに合わせすぎても合わせなさすぎても摩擦が生まれる。いい具合は未だによくわからない。少々な葛藤はあるけれどまた次も話したくなるのなら、大丈夫なことである。もう付き合いがなくなりつつある人たちがいるが、需要と供給がどうにかなればまたそこから始まるだろう。始まらなくてもそれはそれで。