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宴たけなわ

聞きたいのはやまやまなのだけれど、自分の話したいこともまとめておきたく、忙しい。自分は誰かの話を聞きたくて参加しているのではあるが、自分の話もしたいわけで、最中にしばしば葛藤をすることがある。集まった人たちがまた次も集まる保障はなく、ほんとうにここにしかない機会となっているからなおさらだった。

これは何かに似ていると思って考えてみると、"カラオケ"である。カラオケに行って、誰かが歌っているときに自分が歌いたいものを探しているときの、あの何とも後ろめたい気持ちである。

カラオケというものは、個人個人が歌って楽しむものと思っているものの、軽く踊るとか手拍子もせず、誰かの歌を聞くこともせず、自分が歌いたいものを探すことは少し気が引ける。若いころは、自分の歌を同席した人たちに聞いてほしい、などとぬかしていたもので、だから他の人の歌も聞くのもこれまた礼儀だろうとか真面目に考えていた。すごい集中力で端末を操作したり、ものすごい速さで分厚い目次本をめくったりしていたものである。

ときの流れに任せていたら葛藤も何もないのかもしれないが、カラオケの一つであっても、私はできるかぎり得たいし与えたいとももがく「よくばり」なのであった。

誰かと話すのもカラオケに行くのも、そこには費やす時間には「限り」がある。限りのなかで話すし歌う。「限り」があるから時間は濃厚になり、また、限りがないことは恵まれているようでひどく間延びした退屈なものになることもありえる。

終わった寂しさと、わずかな時間が惜しかったと思いながら会場を出る。惜しかったからまた次も来るのだろうが、宴とはそういうものなのかもしれなかった。




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