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読みて潤う

幼いころに泣きたいことがあって、目が潤んでくるのがわかっていながら、泣いていると思われたくないと懸命に涙を落とさないようにしていたことがある。

映画館などははたと行っていないけれど、少しの涙ならぬぐわない、出てくるものを啜らないでしばらく様子見、おそらくひどい顔をしていることだろう。泣いていることを知られたくないのが、幼いころから一貫しているらしい。おそらく誰も気にしていないし、静かに浸る分には周りもそっとしておくだけなので、自分が意地を張っているだけである。

ジョバンニは、青い琴の星が三つにも四つにもなって、ちらちらまたたき、足がなんべんも出たりひっこんだりしているのを見ました。


「銀河鉄道の夜」(文・藤城清治)にある一文だ。"泣く"と書かなくても、泣いているときの目から見えるものを巧みに表すことで、泣いていることがわかる。こういう言葉を持ちたいと思う。大人になってからの泣くという行動は、何だかとても敬虔なもののように感じられて、だからこそ言葉に出したくないようなそんな気持ちがある。

 

<…カムパネルラ、ぼくはきみと二人でのった銀河鉄道の旅をわすれないよ。(中略)>

  ジョバンニは空をあおぎました。心の中に泉のようにきらめきながらわきあがってくるものがあるのを、ジョバンニは、はっきりと知りました。


結びにかかりながらつまって途切れ途切れになる読みに、子は何も言わなかった。文章それ単体で、ということもあるけれど、そこに至るまでの物語を含んでいるからこそ、涙が浮かんでくるものである。涙とともに流れたのは、一時の役目をまっとうしたいつかの感情だったのか、果たして。




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