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5 is my treasure and destiny number.

2025年5月6日。

14時過ぎから昼寝して起きたら18時過ぎ。

流石に寝過ぎだろ!と思いながらスマホを見たら、嵐ファンクラブメールが届いていた。

 

f:id:kasst313:20250507011743j:image

 

 

結婚か、解散か。

どっちかだな〜。

 

ファンクラブへログインして、動画を再生した。

ちなみにその後オタクから「結婚はお知らせ、解散は報告だよ!」と言われた。学んだ。

 

 

動画開始直後の率直な感想。

えっ!?5人いる!?

 

あら、大野さん日焼けして頬がふっくらしてる。

 

そして、コンサートツアーをやるということに、本当に驚いた。

このまま何年も何十年も嵐を眠らせたまま、大野智のやる気が戻る時に、また嵐のスイッチが入ると思ったから。

でも、それは終わりの始まりだった。

 

「コンサートツアーの終了をもって、嵐としての活動を終了する」

 

それは、2019年の1月に行った記者会見の時と変わらず、最後までファンと共に寄り添うことを選択して、そうできるように話し合ってきた嵐が出した答えだった。

 

一番ガツンと衝撃を受けざるを得なかったのは、コメントの中の「取り巻く環境が変化し〜なかなかその答えにたどり着くことは簡単ではありませんでした」というところだった。

https://x.com/arashi5official/status/1919686072386076732?s=46&t=m18XVmUPrCOwhMY8ZHNWVw

 

4年半は短くて長かった。社会の変わるスピードが加速する中での、新型コロナの流行。

それによるさらなる社会変化。それは国内国外問わず、経済、政治、文化、あらゆるものに影響している。

我々があたりまえにあると思っていた「平成」さえ、もう7年前。「過去」になっていた。

 

こうなることは、活動休止が発表されたあの日から予想していた。

何故なら、わたしは大野担だから。

 

大野智は頑固で、とにかく自由を求める人だった。

そんな人が、母親に履歴書を送られて入所して。

辞めようと思ってたのにデビューして。

15年目の時でさえ辞めたいと思い続けていたのに20年まで駆け抜けて。

話し合って休止して。

話し合って。

25周年の時にサインする手と声だけでもファンクラブ会員に届けてくれたのは、奇跡だと思っていた。

 

だからこそ、彼の姿をまた公式に見るのは10年単位でかかると思っていた。

優しいけど、とにかく頑固だし、その意思をあの4人は無理やり曲げることはさせないから。

 

だから、次に大野智が嵐として、5人並んでいる時は、嵐が終わる時だと思っていた。

それが、こんなに早くなるのは、良くも悪くも予想外だった。

 

動画を見終わった後、思ったのはただひとつ。

「ちゃんと、自分たちの手で幕を閉じることができてよかった」

 

 

友人と話していて、「大野担なのによくファンクラブにお金払ってたね」と言われた。

確かにTwitterを見ていると、大野担でファンクラブを辞めている人がかなりいるのでは?コンサートツアーの申し込みは?というつぶやきも見た。

 

ここからは私個人の考え。

私は大野担である。

しかし同時に、嵐というグループも愛してる。

だから、大野智が表に出なくても、4人しか載らない会報や年賀状、動画が上がるだけであろうとも、ファンクラブを辞める気はさらさらなかった。

 

だって、大野智は必ず一回は嵐に戻ってくると思ったから。

それは「嵐が終わる時」、はたまた、「誰かがくたばって嵐が5人でなくなる時」。どちらが先かはわからなかったけど。それまでは、辞める気はまったくなかった。

むしろ、大野担をやる上で長続きするコツは、下手に期待しないことであり、適当に流しておくことである、と思っている。大野担の先輩はまだまだいるので古参とは言いたくもないが、15年も見ていればそんなもんである。

というか、自担を信じなくてどうすんだよ。

 

アイドルの最大の味方はメンバーとファンだろうが。ばーかばーか。

 

 

 

さて、ここからは嵐との思い出をだらだらと書いておこう。

歴史は誰かが残さなければ残らない。

インターネットという、不確かな世界に、残しておきたいのだ。

 

わたしの嵐ファン歴は2009年に始まる。

2009年、Mステで大野智のソロを見る。

ドラマ「歌のおにいさん」の主題歌披露。たまたまその日のMステを見た。当時の私はアイドルに偏見があり、「こんなに歌と踊りができる人がいるのか!」と驚いた。

ちなみにこの回の前に、「happiness」「Step and Go」を披露したMステも見ており、特に「Step and Go」は曲が好きだな〜と思っていた。後に、大野智が「Step and Go」のグループ、つまり嵐の人、というところに結びついていくが、この時はまだ知らない。

 

同年、「明日の記憶」をまたMステで見る。そして、主題歌というだけでクイズショウの最後の2話をリアルタイムで見る。これまでのストーリーを調べるのと、どうやら「嵐」というグループらしい、というのを調べ始める。

 

そして、YouTubeで「believe」のMVを見る。なお、当時は非公式。違法動画である。

というか、違法転載動画しかなかった。ジャニーズがインターネット未解禁時代なので、ドラマのサイトでもジャニタレがシルエット対応の時代である。

そして、この「believe」が楽曲としても、MVとしても、私に刺さった。

とっても、カッコいい!!!!!

 

暇さえあればYouTubeで動画を探して見ていた。Wikipediaや嵐担のブログを読んで、番組やコンサート、知らない世界が広がっていることを知った。

 

それまでの私は芸能人を好きになったことはなかった。だからなかなか家族にも言い出せなかった。

でも、嵐の番組が見たかった。

どのタイミングで言ったのかは忘れた。

多分、5×10が発売するタイミングだと思う。

母親はすごく驚いた。それまで任天堂のゲームに夢中だった娘が突然嵐にハマったのだ。しかもジャニーズ。と、いうのもアイドルへの偏見は母が作り出したものであったから(それも、歌が下手な光GENJIが毎週Mステに出ていて、なんでこんな奴らが出てるんだと思ったからという理由)。

その後、嵐の宿題くんをリアルタイムで見ようと夜中に起きていたら、たまたまトイレに起きた父親に見つかって、嵐が好きなことがバレて、何故かそのまま一緒に番組を見た。父親も多分びっくりしたんだと思う。

 

2009年秋、日テレ嵐ウィーク。

なんか70時間くらい出てた記憶。

今思えばグループの10周年祝うために1週間色んな番組に出まくるってすごいと思う。

テレビ雑誌に赤青の3Dメガネの付録がついて、それを使って生放送中の嵐が飛び出して見えるか?!という企画をやっており、雑誌が手に入らないという珍事もあったっけな。ちなみに赤青3Dメガネはセロハンがあれば自作できる!と買えなかった人は自作していた。愉快。

あの時データ放送連動とか、雑誌のプレゼントで日テレ嵐ウィークのピンバッジもプレゼントしていた。あれ今でも持ってる人いるのかな。

 

そして、初めて買ったシングルは「マイガール」だった。リアルタイムで全話見たドラマもそうだった。

当時家にはVHSがあって、それに音楽番組や宿題くんを録画していた。でも音楽番組は長い。VHSは気軽に編集することができないので、番組一本に対してテープ一本なんてことも普通。

なのでDVDレコーダーが欲しいと言っていた。高校受験終わったら買ったげると言われて喜んだ。合格祝いなんだか、中学卒業祝いなんだか。というかお祝いにレコーダーを所望する中学生も嫌だな(今更)。

そして、受験が終わり合格発表を待つだけ。

卒業式の翌日に電気屋に取りに行く。

つまり2011年3月12日が待ち遠しかった。

 

なお、レコーダーを引き取る日は約3週間後にずれ込んだ。震災が起こったから。ちーん。

 

震災で、はじめの1週間はやることもなく、原発のこともあって外にも出ず。テレビを流し続けていた。

ACのコマーシャルで嵐を見られて嬉しかったが、だんだんと「国民的アイドルグループ」になっていく姿がどこか遠くに感じて、次第にACのコマーシャルを見るのが嫌になり始めていったこともある。

ようやくテレビが普通になり始めたのは3月の終わり。

ちゃんと覚えているのはひみつの嵐ちゃんのミッキーの回だったと思う。2時間か、3時間スペシャルとかだった記憶。レコーダーを引き取りにいけなかったので録画予定のバーテンダーは仕方なくリアルタイムで見ていた。

 

なお、そのレコーダーから引き継いで、今使っているHDDには、2013年3月のひみつの嵐ちゃんの最終回がまだ残っている。HDDが壊れるまで、永遠に消せなくなってしまった。

 

2010〜11年が一番CDを買うのに大変だった時代。

とにかく情報解禁されたら即ショップへ走り予約。

もちろん、全形態。

大雨の中CDショップに予約しに行って、英語の教材(Forest)をびしょ濡れにしたこともある。

ちなみに高一の時にびしょ濡れにしたので、高校3年間と浪人時代はしわくちゃForestを使わざるを得なかった。馬鹿。

 

律儀にフラゲ日に引き取りに行っていたが、「果てない空」の時は予約だけで初回盤が売り切れており、店頭に並ぶ通常盤さえ数枚しかなかった。

当時、父親に「ジェイストームは発注数を間違えている」と愚痴った記憶がある。

そんなこと愚痴られても困っただろうな。

 

CDやDVD、雑誌は中学生の頃から買っていたが、ジャニーズweb(現在のファミクラウェブ)やファンクラブは高校生になってから、と親と決めていた。そもそも携帯は高校生になってから、という約束でもあったので。親の携帯でファミクラwebに入る手段もあったが、毎月¥300払うのもめんどくさかった。

ちなみに社会人になって携帯代を自分で払うまでは親に負担してもらっていたが、ちゃっかりファミクラweb代も押し付けていたことを思い出した。

元々親がauユーザーなのもあり、もちろんau。だからたまたまだけど嵐がCMやってる企業のやつだ!やった!となっていた。あの頃はauのカタログと日立のカタログと日産のカタログを手に入れるために嵐ファンが家電量販店と日産に行ってたりしてたな。個人的には任天堂のCMが来たのが嬉しかった。元々ゲーム好きなので。

 

雑誌関係で言えば、オリスタはなんやかんやほぼ毎号買っていた。休刊してもう10年経つ。

みんなもう忘れてる。

ちなみにファンになってすぐの頃に、Wink UP嵐ソロ表紙シリーズの大野さん回が出た。

そのWink UPもこの春で休刊になる。

ポポロも昨年突然休刊した。

ほかのアイドル雑誌も隔月になったり、サイズが変わったりしている。

時代の変化と、物価高、雑誌の売れなさ。

15年、改めて考えると長い。

 

そういえば、大野さんが30歳になったタイミングでアイドル雑誌の定期掲載から卒業した。

グループが10年迎える、または誰かが30歳になったらアイドル雑誌を卒業するというシステムだった。当時は。今は変わってる。1番の売れる時代に嵐がそのまま卒業したので、雑誌側は痛手だろうなと思った。

それで言うとカレンダーもデビューから10年までなので、2009年までで終わっている。なのでわたしは嵐のカレンダーを買ったことがない。

 

嵐のファンクラブには高校に入ってからにしなさいと言われていた。

しかし、震災ですっかり忘れていた。

なので、1年後。

2012年の1〜2月ごろに入った。それも母に「そろそろ入ったら?」と言われたから。

ちなみに、あと1ヶ月早く入っていたら誕生日に間に合った。当時はそんなこともろくに考えずに入った。ポンコツである。なお、114万番台。今からしたらもはや古参なのか?(笑)永遠の10周年新規の記憶が抜けないので、どのタイミングから中堅だとか古参だとか言っていいのかわからぬ…!とぼやいていたらあっという間に15年経ってしまった。

 

毎年応募していたが何も当たらなかった。

いわゆるハズレ名義なんだと思う。

でも長年払い続けていると愛着もわくもので、再入会する気にもならなかった。どんどん会員数が増えて、自分の番号が古くなっていったこともあるだろう。

それでも友達と協力して、2012、13、17年のワクワク学校、2013年のアラフェス、2015年の宮城、Japonism、2016年のJaponism arenaに行った。2014年のハワイのビューイングも行った。

 

2014年。ハワイ。

ハワイやんじゃね?とファンの中でひそひそしてたらほんとにハワイをやった。

浪人中だし、そこまで行くつもりはなかったので最初から申し込まなかったけど、蓋開けたら現地でも普通にチケットが買えたというのが笑った。

 

2015年といえば、news zeroの特別編「アイドルの今これから」放送。大野智櫻井翔、NEWSの加藤シゲアキの3人の対談。

今また再放送しないかな。と思ってる。

 

同年、宮城ブラスト。

アリーナツアーまでは宮城に来ていた。

すっかり5大ドームが定番となってからは全国各地に行くことはないだろうな…と思っていた。

だから、思ったより早く、宮城に来た。

それが、震災という悲しい出来事がもたらしたことでも。今でも、震災がなかったら、また違う人生だったとも思うけど。

わたしは、嵐が宮城でコンサートしてくれたこと、ただただ嬉しかった。

ちなみに仙台のホテルは速攻で無くなり、県を超えてわたしの住むところのホテルも無くなり。たまたまシルバーウィークで東京から帰省していた叔父一家がホテルを取ろうとしたら埋まりまくってて「なんで!?」となっていたらしい。もはや懐かしい。

そうそう、ミスドコラボで限定のドーナツも出してたね。そのために朝から並んでたのもいい思い出。

あとは当時CMやってた企業とコラボしてた。シール付きの商品とか、セブンイレブンでシール付きのおにぎりを買った記憶。あのシールは記念にどこかに貼ったけど、どこに貼ったかは忘れた。

 

すごかったのは、ハワイの時も、宮城の時も、自分たちの冠番組でそのロケを合わせてその土地でやっていたこと。ハワイの時は15周年もあってNHKでドキュメンタリー番組もやってたし。宮城の時は隣県ってことで、福島でもロケしてた。

 

そして、初めて自分が当てたのが、2017年の「untitled」だった。

もはや、これが当たらなきゃこの名義は役に立たねえ!とも思っていた(笑)。

https://x.com/kasst_313/status/1919753282790293985?s=46&t=m18XVmUPrCOwhMY8ZHNWVw

https://x.com/kasst_313/status/1919755379681927340?s=46&t=m18XVmUPrCOwhMY8ZHNWVw

https://x.com/kasst_313/status/1919756415310417925?s=46&t=m18XVmUPrCOwhMY8ZHNWVw

https://x.com/kasst_313/status/1919760857497755819?s=46&t=m18XVmUPrCOwhMY8ZHNWVw

https://x.com/kasst_313/status/1919757362459549834?s=46&t=m18XVmUPrCOwhMY8ZHNWVw

 

そして、5×20。

前半はもちろんかすりもせず、and moreで入った。全50公演中、and more分の公演数が約8割なのは流石に笑った。嵐のコンサートですっかりお馴染みのドデカLEDスクリーンの有効活用方法が全公演スケジュール発表のアレだと思っている。

 

2019年から20年にかけて、嵐の展覧会が行われた。

これは母も行きたい!と言ったので適当に応募していたが、2019年8月のある日が当選した。今思えば、コロナ前に行けてとてもよかった。衣装を舐めるように思う存分見ることができて楽しかった。

 

2019年秋。

天皇陛下即位のお祝いセレモニーで嵐が歌った。

10年前、ファンになった時はこんなに大きなグループになるとは思っていなかった。

あと、こんなにも長く国民的グループとして立ち続けていること、愛されているグループになることなんて、予想もしていなかった。

あの時、わたしと同じように惹かれた人が多かったから、今、こうしてお祝いセレモニーで歌っているのだと。

「嵐のファンであることが誇らしいな」。

テレビ中継を見ながら、少し思った。

でも、相変わらず天気には恵まれないあたりが嵐だった。(笑)

 

そうだ、20周年の時は読売新聞で毎月全面広告出してたね。毎回買ってはダンボールに押し込んで保管してた。多分探せば出てくる。早くファイリングすればいいんだけど。そのファイリングがめんどくさい。

新聞で思い出したけど、なんかの時に漫画家コラボで朝日新聞の企画?広告?で、漫画家さんが書いた嵐が載っていた。あれも嬉しかった。大野さんは怪物くんだったので、2010年以降である。それこそ2012年あたりかもしれない。どっかにはある。どっかには。

 

「FREESTYLE2020」

これは、コロナ禍に開催された。

だからこそ、わたしは行かない選択をした。

本当はとても行きたかった。

でも、新型コロナが怖かった。

今思えば全然行けたなとは思う。

自担の現場だからと行っておけば良かったのかもしれない。

今でも正解はわからない。

これは映像配信のかたちで後日会場の様子を見せてくれた。そうしてくれただけでもよかったな、とは思う。

 

そして、アラフェス2020。

残念ながら配信になったけれど、その日はしっかり準備して母と見た。

私が常にアイドルの話をしているので、この15年で母もすっかりジャニーズ好きになっていた。そりゃ、一緒になって番組を見ているのだ。いやでも嵐の顔と名前は覚えるし、歌も覚える。

 

そして、活動休止前最後のThis is 嵐 LIVE。

本当なら祖父母の家に帰省してお泊まりするが、「嵐が最後なんです」と言って帰省せず、また母と一緒に家で見た。最後、櫻井翔が涙ぐんでいそうだったのが、この15年で一番グッときた一場面だった。

 

その後は、櫻井翔松本潤それぞれの展覧会に応募してみたらラッキーなことにまた当たったり。なので母とどっちも見に行った。

それぞれの生配信を見聞きしたり。

 

5×20、This is 嵐 LIVEのDVDが手元に来たり。

 

2021年1月1日以降は、徐々に嵐から届けられるものが少なくなる中、嵐担としては穏やかに過ごしていた。

その反面、掛け持ちで応援している他のグループを見るようになり、そのグループが増えたり減ったり。

 

 

 

 

 

 

この15年。

中学2年生だったわたしは社会人になった。

私が大野智を好きになった当時、彼は29歳だった。

その歳にわたしは今年なった。

そして、わたしが30歳を迎える来年、嵐は幕を閉じる。

わたしという人生の中で、今のわたしの大部分を作ってくれたのが嵐だった。

ジャニーズとの出会い。

さまざまなカルチャーとの出会い。

インターネットの使い方。

Twitter。そして、友人たちの出会い。

Twitterで繋がった多くは、元々嵐担だった人が多い。今でも嵐を追いかけているのはわたしくらいになってしまったけど。

また、どんなところでも「嵐好きです!」というと同志がいたり、趣味としてすぐ受け入れられたり、なにかと便利だった。なんせ、みんな嵐なら仕方ないみたいなところがあったから。それくらいみんな嵐を知っていたし、好きだったし、影響力の大きさを知っていた。

 

あの頃、みんな同じものを見ていた。

また、嵐のようになるアイドルが出てくるかはわからない。

そもそも時代が大きく変わってしまい、「みんなが知っているグループ」という存在が難しいのかもしれない。

それが、「1980〜2020年代」の完全なる終焉なのかもしれないな、とも感じたり。

そんなことを思うようになったってことは、自分も歳をとったな〜って感じたりする。

 

嵐が活動終了するのは寂しい。

今からでも撤回してほしいなとは思う。

でも、勝手に会社の意思で始まったグループ活動を自分たちの手で終えられる選択ができるなら、それが一番とも思う。

喧嘩別れでもないし、生きていればまたいつでも集まれる。

そう、永遠に嵐と、あの5人と、お別れするわけじゃない。

だから、喜怒哀楽全部抱いて、生きていこうと思う。

嵐がくれたものやそれを元にわたしの中に生まれたものは、わたしの中で一生あり続けるから。

グループの名前が無くなっても、みんなに忘れ去られても、わたしが嵐からもらったものは、わたしが死ぬまであり続ける。

それをこれからの人生は大切に持ち続けながら生きていこうと思った。

 

 

嵐へ

26年間、本当にありがとうございました。

26年のうちの半分以上を共に歩むことができて良かったです。

嵐に出会えて、本当によかったと、胸を張って言えます。

どうか、嵐である最後まで、何事もなく無事に終えられますように。

最後の旅を楽しみにしています。

 

 

……そうだ、「CDGの嵐」のDVD買ってなかったわ。この機会に買うかな。そもそも売ってんのかな。

 

 

 

 




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