にんげんというものは、何かと理由をつけたがる。
「なぜ」その結論に至ったのか?
「なぜ」その行動を決定したのか?
「なぜ」そのようなことを言ったのか?
多くのにんげんは、納得したいが為に理由を必要とするのである。
しかしだ。
理由を聞いたとて、はたして納得するものだろうか。
結局のところ、その理由というのは「その人にだけ」通用するものであって、他人がそれを知っても否定されるかも知れないし、まして納得などしないのではないだろうか。
そもそも、「納得したい」とは何なのだろう。
世界の出来事すべてに、自分が納得いかないと何か不都合なことが起きるのだろうか。
おそらくそんなことはないだろう。
これは冷たく聞こえるかも知れないけれど、
「知らない場所の知らない人」のことは何も知らないのだ。
ニュースみたいなもので多少聞いたとて、それは知っているとはならない。それで知った気になるなどというのは欺瞞だとあえて言い切る。これには同意していただけるかと思う。
そこから「想像力を働かせる」ということの大切さはある。自分がこの世界に貢献したいと思うなら、そういったことも必要な能力ではある。
ただ、その前に、もっと大切なことがある。
それは「決めること」。
自分で決める。
自分が決める。
他人を納得させる為の理由は要らない。
ただ、そう決めるのだ。
どんなに無理だと言われようと、
辻褄が合わないと言われようと、
そんな言葉に力は無い。
力は自分の中にある。
否、自分の中にしかないのだ。
理由を探している暇があるなら、決めよう。
大きなことじゃなくても構わない。
今日は何を食べるかを決める。
それはどこかで食べる?家で作る?
材料は何を使う?その材料はどこでどうやって手に入れる?
食事ひとつとっても選択肢は多岐にわたる。
なんとなくの気分で決めたっていい。
それはその時の直感だから。
直感にはできれば逆らわずに。
「高いしなぁ」とか「作るのは面倒だなぁ」とか
それで諦めてしまうならそれまでだし、それでいいし、
「ちょっと予算オーバーだけど他で調整しよう」とか
「料理のスキルが身につくな」とか
ポジティブに捉えてもいいし、
それは個人の自由です。
そういう自由が私たちには許されている。
【今日の1曲】
mother「Libarty」
