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藤森神社の祭礼より。

ゴールデンウイーク、如何お過ごしの事でしょう。
世の中とは違いの仕事の予定です。
しかし、世の中の行事はあります。

私の住まいしています伏見の地に、藤森神社があります。
山城国では、一番古い学問の神様でもあります。
京都と言うと、それも学問の神様というと、菅家の道真公ですよね。
しかし、藤森神社は、舎人親王さまをその神様のお一人としてお祀りです。

この神社は、今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です。

素盞鳴命(すさのおのみこと)
別雷命(わけいかずちのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
応神天皇(おうじんてんのう)
仁徳天皇(にんとくてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
武内宿禰(たけのうちのすくね)
舎人親王(とねりしんのう)
天武天皇(てんむてんのう)
早良親王(さわらしんのう)
伊豫親王(いよしんのう)
井上内親王(いがみないしんのう)
以上十二柱を神様としてお祀りです。(藤森神社ホームページより参照)

5月5日は、藤森祭です。
このゴールデンウイークは、まさにずっと儀式が続きます。
その中でも、今日は最大のイベントです。

武者行列や駆馬神事があります。
今家の前近くの通りを、武者の姿をした甲冑姿の方が歩いておられます。
何十人という武者です。

リアルタイムの記事です。
「現場より、かんとうしょうえがお伝えします」
それに子供さんや、神社関係者、馬に乗った祢宜さんと、何時間もかけての行事です。

去年は、同行カメラマンと見ていました。
稲荷神社との因縁の行事を、間近で見ました。
なんとも荘厳な儀式でしようね。

二つの神社関係者が掴み合いの事を起さないように、仲介には、京都市長京都市議会議長の臨席の元、行事が進んでいきます。(ご心配なく、形式的な儀式です)
もちろん、今では争いごとになることはありません。
しかし、もともと稲荷山は、藤森神社の境内でしたからね。

このくだりは、去年も一昨年も書きました。
この私の住まいする土地の氏神さまとして、藤森神社さんに同情的になります。

ここにも空海こと弘法大師も、稲荷と東寺の中でトラブルとなり、和解することもありました。
歴史的人物の宝庫です。
もちろん、幕末には、この神社さんに新撰組近藤勇も参詣しています。
腰が悪かったようです。

映画の世界なら、その前を鞍馬天狗が走ります。
嵐寛(嵐寛寿郎)って言うたら、そら古すぎます。
市川雷蔵ぐらいにして置きましょう。
(それでも古いです。眠狂四郎円月殺法なら、私の生まれる前の話です。花のある役者さんでした)
時代劇は、まさしく勧善懲悪の勝負の世界です。

ですから、この神社さんは、勝負の神様でもあります。
端午の節句、菖蒲の発祥の神社です。
銭湯なら、今日は菖蒲湯です。

植物の菖蒲から、勝ち負けの勝負に、言葉が変じます。
その上、今日は境内を駆馬が走ります。
狭い境内に、馬が失踪します。
時に人の多さから、馬が興奮し過ぎて、観客の中に飛び込むこともあります。

人が馬に乗り、その上で曲芸的な芸も神様に奉納します。
時に、駆ける馬の上で、一筆書きの書を奉納します。
ここは見所です。

何度も見ましたが、だいたい書く字は「馬」が多いですね。
一筆で、崩した字です。
大変見応えのある奉納儀式です。

駆ける馬と勝負と言えば、競馬ですね。
競馬関係の関係者の参詣を多いと聞きます。
ニュースでもやっていますよね。
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その庶民のお祭りと言えば、やはり決まって「鯖寿司」です。
いつものお気に入りの、蛤の皿に盛り付けます。
収まりのいい中皿です。

いつもなら、三つ盛っては、三世の世界の話になります。
しかし、三切れは、身を切ると嫌う人もいます。
料理の世界では、三は悪い数字ではありません。
三種盛り、五種盛りとよく使う言葉です。

四角い皿には、奇数で盛ります。
丸い皿には、偶数で盛りますね。
陰と陽の関係です。
過去の記事に書いた陰陽五行の影響です。

時に、今日は節句です。
年六回ある六祭日(本当は7回あるとも聞きます)です。(如是我聞)
人が懺悔する日であるとも聞きます。
罪の穢れを払う特別な日、節日でもあります。

陰と陽、仏教典の妙法華経なら「妙」と「法」です。
見えない世界の「妙」と見える政界の「法」、二つの世界で森羅万象の宇宙の法理も成り立っているとも聞きます。

人は輪廻します。
仏教では、「空」という輪廻の中に人はいます。
過去世、現世、来世と、その輪廻の中から脱出出来ないです。
この脱出は、解脱(げだつ)と言うことになります。

この世は、仮の「空」です。
苦しみも楽しさも、すべて、仮の「空」と言えます。
これだけに固執することは無意味だとも言えます。
かと言って、自分の好き放題が許されるはずもありません。

現世は、悪い縁を断ち切り、いい縁を結びつけることです。
その中で、人は魂として修行し続けます。
ほとんどの方が、前世の記憶もありません。
お釈迦さまは、幾多前世の記憶を語られています。

その中で、前世にすでに悟りを得られていたのです。
経典の中でも書かれている有名な下りですよね。
ですから、私は、お釈迦様を「南無久遠實成大恩教主釋迦牟尼世尊」として、第一に位置づけます。
ここに、私の仏縁を頂戴しています。

もちろん、神さまの世界も存在しています。
特に場所に由来することが多いように思えます。
氏神さまや、その土地の神様、鎮守の森に静かに鎮座されています。

侵すことの出来ない神聖な領域です。
ここからが、神さまの領域を示すように、白縄が張られています。
魔が近づかないように、真っ赤な朱色で、魔を威喝しています。
人もそれらの領域を侵してはなりません。

見えないけれど、そこには何か存在しています。
現代人は、特にそれを感じる能力が薄くなっています。
昼も夜も、変わることのない暮らしです。

深夜の山の中、灯りのない真っ暗な中で、暮らしていると、何かを感じることが強くなるはずです。
そんな暮らしをすることは不可能です。

でも、見えない世界や見えない存在はあります。
ゲゲゲの女房で、主役の松下さんが言った台詞、「見えないけれど、何か感じる」物が存在しています。

それは時に、神様でもあり、仏様でもあります。
迷信ではなく、存在するのが事実です。
見えないと存在しないのは、別物です。
貴方に見えないだけです。

目の前に見えないばい菌や細菌、ニュースにもなっているO-111は、目には見えません。
その存在を肯定しながら、もっと大切な神仏を信じないのは、不思議です。
何かの力で生かされていると感じることが必要です。

上を見ても下を見ても、キリはないです。
今ある自分の生活をしっかり見つけて、それを楽しむことです。
つまり、日常です。

特別な幸せは、続きません。
特別でなく、日常こそ、平穏な幸せが存在しています。
その平穏な幸せも、見えない神仏のご加護により、暮らさせて頂いています。
それを感じることこそ、幸せを感じる方法だと思います。

道は近きにありです。
幸せは、遠くからやって来るのでなく、自分の心に見つけることが、穏やかな暮らしに繋がると信じています。
ありがたい仏縁を頂けていることに感謝です。

今日は、神さまにとっても、仏さまにとっても、特別な日かもしれません。
ありがとさんと感謝します。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、お祈ります。

最後まで、尻切れ(四切)の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。



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