我が愛読本の中に、『禅語の茶掛 一行物』(芳賀幸四郎著 淡交社刊)と言う本があります。
禅の言葉、禅語を解説した私の知識の泉の本なのです。
その本に、続編があります。
もちろん、知ってはいましたが、なかなか古本市とかでも手に入らないことが多いです。
この本でいろんな事を知りました。
特に難しい禅語と茶の湯の世界は、奥が深いです。
それを、私のような凡夫でも、多少分かりやすく解説して頂いて、その読解の紐.の説きの足利りにさせて貰っています。
ありがたいことです。

古い本ですが、美品のモノが手に入りました。
正月から少しでも、長安へのナビの手伝いにして参ります。
今回は、「無隠」の解説を読みました。
孔子の『論語』の中に、「吾、爾(なんじ)に隠す無し」と言うのがあるようです。
日本の江戸時代の儒者の荻生徂徠の教育法の中に、同じようなものがあるようです。
徂徠と言えば、講釈、落語などの話芸の中に、「徂徠豆腐」と言う噺がありますね。
空腹で死にそうなときに、豆腐屋に助けられた借りを、後に出世して返したと言ういい噺です。
時代は、「赤穂事件」で、幕府がその方針を迷っていた時に、側用人、柳沢出羽守に召し抱えられて、林大学頭鳳岡と意見を二分して、赤穂浪士46人に、武士として名誉の切腹をさせてこそ、武士の本懐と位置づけて、切腹の処分が下ります。
教育方針として、孔子の難しい考えについて行けなかった弟子が「師が我々に隠し事している」という不安に対して、孔子は「吾、爾(なんじ)に隠す無し」と諭したと言います。
これを「無隠」として豪気するようです。
茶席でも、よく用いられるようですね。
この「無隠」には、単に夫婦・主客の間に秘密はないと言う意味でなく、「明歴々露堂々」などと同じ意味であり、まことに含蓄の深い一語だと書き記されています。
その根底には、仏教では「如(にょ)」といい、儒教では「天命」と名付けているところの宇宙の大生命が脈々とはたらいているからだとあり、そして、この如・天命の人間に宿ったものを「仏性」といい、人間以外に宿ったものを「法性」といい、これを体得するのを「開悟」と解説されています。
難しいですが、「裏を見せ表を見せて散る紅葉」と言う句があるようですが、凡夫にはこちらの方が何となく理解できそうです。
今年も、禅語の解説を静かに自分のモノとすべき、この本を愛読したいところです。
正月から、いろいろとやりたいことが見つかります。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。