いよいよ、今日で7月も終わりです。
もちろん、毎朝の散歩は続けています。
このまま、家の前の道を歩いて、長安に行けそうな気もします。(勘違いです)
先日、大きめのセリアに行って来ました。
いろいろと品ぞろえがあって、よく来るほうです。
そんな中、いいもの見つけました。

90度を出すのに使えます。
大きさも、15㎝×7.5㎝のサイズを測れます。
大きなものも持っていますが、小さなものもあれば助かります。
スピーカースタンドの台の部分を仕上げてます。
1/4インチ & 3/8インチ ネジ 固定するために、パーツをAmazonで購入しました。
ちょうどいいです。
三五の塵点劫(じんてんごう)の当初(そのかみ)より・・・・・、いえいえ、こちらのサイズ3/5でなく、3/8でしたね。
有限数を繰り返しても無限にはならず、矛盾はないのかもしれません。
DIYにおいては、90度の角度がなかなか難しいものです。
それが、こんな小さな曲尺(かねじゃく)で測れます。
正確には、尺としてでなく、メートル法での計測です。
サイズをしっかり採寸して、カットしたりする必要もあります。
なかなか素人には、難しい作業です。
難しいと言えば、禅の公案の中に、隻手音声(せきしゅおんじょう) と言うのがあると聞きます。
要するに、「両手をたたくと音が出るけど、片手で鳴る音はどんな音?」 と言うようなものですね
不思議な禅の世界です。
トンチでもありません。
トンチと言えば、一休さんです。
禅を極めた一休禅師として有名です。
一休禅師の禅は難しいです。
辞世の詩である「遺偈」の中にあります。(過去のブログの記事にもしました)
須弥南畔
誰か我が禅を会(え)す (記事では、会(た)せん)
虚堂(きどう)来るも (記事では、来るなり)
半銭に直(あたい)せず
(読み下しは、酬恩庵一休寺のモノを参考にさせて頂きました)
意味する所は、「この世界、誰かわが禅をわかろうか、虚堂が来たって半文にもならんわ」(富士正晴氏訳)
記事も同じく、「この世の中に、誰か私の禅を理解するものはいないであろうか。誰もいない」と続きます。
素人からしても、まったく理解できないことも多いです。
そうそう、一休と言う名前の由来ですが、「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから、師の大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)より一休の道号を授かるとあります。
なお「有ろじ(有漏路)」とは、迷い(煩悩)の世界、「無ろじ(無漏路)」とは、悟り(仏)の世界を指すようです。(ウィキペディア参照―)
モノを測るのが、こうした曲尺(かねじゃく)でも、人の大きさや心の広さは測れないものなんですよね。
松山千春さんの『窓』(作詞:松山千春 作曲:松山千春)と言う歌の歌詞の中に、こんなのがありますよね。
♪小さな窓から見える この世界が僕の全て 空の青さはわかるけど 空の広さがわからない~
有限数を繰り返しても無限にはならずとは、矛盾があるのかないのか、素人には不明です。
でも、偶然の偶然は、必然だと言うことは、体得してます。
まずは、失敗を恐れず、何かを作ってこそのDIYです。
何が出来るのか、それも楽しいです。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
総索引 https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705