2008年2月15日に、Yahooでブログを始めて以来、いよいよ丸17年が過ぎて、18年目に突入しました。(計算合っていますよね)
長い様で、あっという間にも感じます。
とは言え、独身であった私が、嫁と暮らし始めて、娘が授かってと、私の人生の中核を占めている期間、そのものの毎日のブログの綴りです。
山あり、谷ありだったようにも思います。
ブログと言えば、単純に日記だと揶揄されます。
言うは易し、やるは困難です。
ブログは、ウェブ ログの2つの言葉を掛け合わせて、ブ ログなんですよね。
何か書き残したいと思うのが、人の真理らしいです。

まずは、甘い菓子でも食べて気持ちを整理したいです。
千鳥屋宗家のご存じ「本千鳥」です。
一服一服の気持ちです。
病気の事、日常の暮らし事、日々の食事の記録、いろいろと書き記してきました。
人生の節目の出来事の記事に書き記しています。
やはり、一番思い出すのは、娘が生れた日の出来事です。
突然、今から緊急の嫁の出産、2時間ほどの時間を一人で控室で過してから、娘はNICUに連れて行かれ、1時間後に小児の先生から説明があると言うので、その間に食事に行って下さいと言われて、食べたごはんの記事が、娘の生まれた当日の20分後の食事の様子の記事です。
人は、どんなときでも腹が減ります。
でも、そう言われても、気持ちの整理が付かず、とりあえず、食事をしたと言う感じでした。
今見ても、その時の記憶が生々しく蘇ります。
食べた食事の写真が印象的です。
やはり、写真の記録はいいもんです。
その後、子供の健康状態と今後のリスク等の説明を聞いて、家に帰ったら23時回っていたと思います。
翌日は、早番でしたので、午前の2時半に起きて、3時過ぎに仕事場に行ったのは覚えていますが、どうしたか、あまり記憶がありません。
クタクタになって帰って寝たのを覚えています。
その辺りが、ヤバかったです。
岳父も入院していて、3人が入院中になっていましたので、精神的にもヤバかったです。
この前後の記事を読み返しても、どうして過ごしていたのか、記憶がありません。
やはり、ブログの記事から推し量るべきでしょうが、いろいろと書けないこともあって大変でした。
そうそう、出産後に嫁の病がはっきりして、2度の検査入院と、手術入院も堪えましたね。
乳飲み子と二人暮らしの生活が続きました。
あの辺りが、精神的に追いやられていた時だったと思います。
深夜にも、3時間ごとに起きて、乳飲み子の娘にミルクを作っていましたね。
子供を踏みつぶしてもイケないので、娘と頭を着けて、L字になって寝ていました。
最初の検査入院の時に、深夜乳飲み子の娘が、私の髪の毛を引っ張っていました。
何をしているのかと思うと、家に大人が2人から1人になったので、寝ている間に居なくならないかと、不安だったのでしょう。
寝返りも出来ない娘の気持ちが何とも言えずに切なかったです。
乳飲み子でも、家から嫁が居なくなったのは、分かったのでしょう。
1週間後に、嫁を迎えに病院に行くと、嫁と1週間ぶりにあった時の嬉しそうな娘の顔が忘れられませんね。
こんな事が都合3回あって、手術の時は、2週間近く、乳飲み子の娘と二人きりで、24時間過ごしましたね。
限界でしたね。
神経の細やかな所まで、きちんとやれたかどうか不明です。
自分のごはんどうしていたのかも、記憶がありません。
娘の離乳食作って食べさせて、ミルクを飲ませて、おむつを替えて、風呂に入れて、一緒に寝て、深夜にミルクを作って、おむつを替えて、また、寝るんです。
産後の育児ノイローゼ―の気持ちもよく分かります。
追い込まれますね。
もう一度やれる自信はありません。
乳飲み子の育児も大変です。
いろんなことが、ブログの端々から読み取れます。
本当に、山あり 谷あり でしたね。
そんなこんなで、18年目に突入しました。
先の事は、考えないようにしています。
それでも、書き記したいことは、山のようにあります。
つまらない事ばかりですが、それでも、ネットで世の中に繋がっています。
少しでも、何かのやる気や勇気に繋がれば、ありがたいと思いますね。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
総索引 https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705