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なぜエロゲーだけ語られたか?

ゲームと思想 - 伊藤計劃:第弐位相

この前、ある場所でとある方とお話させていただいたときに、
エロゲー(というか、ノベルゲーですか)が批評的な場で語られたのって、結局、お話だったからでしょ
と、ふと思ったのでした。

それが、なぜ(一時期)エロゲーに代表されるノベルゲーだけが批評的なツールとしてもてはやされたかというと、それは結局お話だったから、単純に語りやすくとっつきやすく見えやすく何より「読みやすい(つーか読む媒体ですからね)」、「物語」だったからでしかないんじゃないか。
あのとき語られたのはゲームじゃなく、あくまでエロゲーだったんだなあ。

これは、エロゲーだけではなく、コンシューマーゲームでも見られた光景で。
ドラクエ』がブームになった80年代後半以降のゲームについて語られた言説は、大体がRPGで、アクションゲームを語る言説は大変少なかった。
なんで、人文系の人がゲームを「発見」した時に起きることとして自分は認識してる。昔自分が書いた記事を引用。
ARTIFACT ―人工事実― : 新しい物語伝達メディア

 ゲームを物語の面だけで語るという傾向は、別に東浩紀氏だけではなく、大塚英志氏など文化人のゲーム話によく見られる話で、ファミコン時代、RPGが登場してから、やたらと語る人が増えたという歴史があります。RPGと漫画や文学を比較して、危機感を煽っていた評論なんかが多かったです。
 また、これはゲームだけではなく、漫画やアニメなどでも見られる現象であり、絵や演出などにはあまり触れられず、物語のみで評論される傾向があります。
 評論は、言語化しやすい物語の面に寄りがちなので気を付けたいところです。

この記事を久しぶりに読み直したけど、「モニターを通した新しい物語伝達メディア」として、Flashは流行らなかったのは残念。やはり制作コストが高いか。かわりにケータイ小説か。




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