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みんなと同じことができない人は、自分の器の大きさを人より早く知っただけかもしれない

灰色でハートの絵がついた和食器を持つ女性の手

 

ちょっとした話を人としていたときに、心に残った言葉があります。いわく、

 

「みんなと同じことができない人はいる。そういう人は自分のペースをつかむことが大切で、疲れないように休んだり、ときには逃げたりしながら、自分にできることを着実にやっていくことが大切なんじゃないかな」

 

なんとはなしに流れた話ではありますが、家に帰ってからひとりで考えることがありました。あまりまとまっていませんが、お付き合いいただけると幸いです。

 

 

「普通」の生き方にはやることがあまりにも多い

日本で生まれた私たちの多くは、学校へ通い、部活に励み、友人を作り、ときに恋などもして大人になり、仕事に就き、自分の居場所を見つけていく。

 

こうやって眺めると、「普通」の人生はなかなかに多忙なものといえそうですね。勉強をしてスポーツもして芸術にも触れ友達を作り恋に悩み仕事に疲れお金のことを考えたりもしつつ……。

 

これらのことをスムーズに、流れに乗ってこなせることは、実はすごいことではないでしょうか。

 

意外と難易度が高い「普通」をやり過ごすには

実は、先の話は自分の子供に関することで、私の子供は「学校へ行く」につまづいて毎日難儀をしております。いわゆる不登校というやつですね。行けないこともないんだけど、彼女にとってはかなり大変なことらしく、コンスタントに通うことが難しい。

 

そうした話をしている折に、「皆と同じことができない人がいる」のあとに、「自分のペースを見つけるべき」という言葉が続くのは新鮮でした。たいていは「でもがんばらなきゃ」か、「いいよね、逃げたって」といったもの。

 

もちろん、それが悪いわけではありませんよ。がんばれる人はがんばったほうがいいし、命に係わるほど深刻な状況になるなら逃げたっていいんです。

 

「普通」の枠内で生きるのは楽ですので、できることならそうした方がいい。だけどできなくても、人ひとりの居場所くらいはこの世の中に見つけることもできるのではないでしょうか。

 

器に合わせた生き方・人それぞれの器とは

人にはそれぞれ能力の差があり、体力の違いもあり、許容できることの多さ大きさは異なるものと思います。その、許容できるものの範囲をここでは「器」と表現しました。

 

前述の例でいえば、学校が苦手なわが子は一般の子供たちより許容できることが少なく、つまり器が小さいのです。

 

まだ若いのですから、さまざまなことを経験して器を大きくすることも大切。しかしその体験が器を壊すほど過酷なものであってはいけません。修復に時間がかかるし、いや、修復さえできないかもしれない。

 

自分の器が「普通」より小さいと自覚したときには、まずはその器の許容範囲を知り、それに見合った努力や活動をしていくのがよいのではないでしょうか。

 

「普通」を生きた人の器の大きさとはこれいかに

さてそこで、自分自身の人生を振り返ってみたわけです。

 

私はそこそこ「普通」のルートを踏んできました。学校にも通ったし、なんと体育会系の部活でがんばってたんですよ。自分にオタクの素養があるとわかっていたので、20代にはそれを封印して、オシャレも(そこそこ)努力しました。

 

で、中年になった今、こんなブログを書いているというありさま。

 

このブログは、暮らしと読書、映画鑑賞とラテンアメリカをテーマにしています。自分の興味が向くものばかり、好きなことばかり。

 

実は私ね、オンラインではこんな感じで好き勝手にやっていますが、オフラインでは読書が好きとは言わないし、ラテンアメリカに興味があるなんておくびにも出さない。田舎民ですのでね、そうした話は「普通」ではないんですよ。少なくともマジョリティではない。

 

だけど最終的に、ここにたどり着いてしまいました。私が好きでポジティブに取り組めることはそうそう多くはなかったのです。オシャレもしてはやりのドラマも見て人付き合いも広く上手に、そんな器の人間ではなかった。

 

「普通」を生きられない人は、早めに自分の器を知っただけかもしれない

ときどき思うことがあるのです。もっと早く、自分の器がわかっていたら、と。

 

たいして器量もよくない私。オシャレに無理せず、好きな本を読んでいた方がよかったかもしれない。無理にリア充の真似などせず、オタク気質まっしぐらでアニメも映画もたくさんみたらよかったのかも。若いうちに南米にも行っておけばよかったのかも。

 

後悔はしてはいませんが、最終的にここに行きつくのならば、もっと早くに自分なりの興味関心を大切にしておいてもよかったのかもしれない。そんな風には感じることはなきにしもあらずです。

 

人は結局、人生のどこかの局面で、自分の限界に突き当たるのかもしれないですね。苦しいことではありますが、考え方を変えてみれば、それは案外僥倖になりうるのかも。事実これまでの人生で、自分の器に見切りがついてしまった今が、私は一番楽です。

 

自分らしく生きるということは、裏返せば、自分らしくでしか生きられないということでもあります。自分の限界を見定め、身の程を知ったところで残ったものが自分らしさ。そういうこともあるように思います。

 

まとめ

才能に恵まれた人が努力して能力を開花させていくことはすばらしいことです。しかし世の中にはそんな例ばかりではありませんから、才能がないなりに、器に見合った人生を生きるのも悪くはないはず。

 

みんなと同じことができないのなら、自分なりのペースを見つける。器を見定める。そんでもってぼちぼちコツコツやっていく。実のところ、それができれば人生御の字、十分なのではないでしょうか。

 

 

 

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