
2000年代のはじめでしたか、ロサンゼルスを旅したときに、ふと道に迷いまして。周りの人につたない英語で尋ねてみても、伝わっていない様子。念のためにとやはりつたないスペイン語できくと、怒涛のようなスペイン語でのお返事をいただきました。
「アメリカの西海岸では英語よりスペイン語の方が通じる」。当時からすでに言われていたことを、身を持って体験した次第です。ま、道のほうはさっぱりわからずじまいですけど。
ではなぜ、アメリカにはラテンアメリカ系の移民が多いのでしょうか。先日のニュースでも、移民排斥反対デモにメキシコ国旗を掲げておられる方を見かけました。
ボチボチ調べながら、今回の記事は動画や書籍、映画などを引用しながら作ろうと考えました。なにせ全くの素人ですから、適当なことを書いてもいけないわけです。参考資料を多数そろえましたので、ぜひお付き合いくださいませ。
目次
- カリフォルニアはメキシコだった? チカーノと呼ばれる人たち
- ラテンアメリカと移民:移民の受け入れ先だった
- 冷戦とラテンアメリカ移民:軍政、独裁、内戦から逃れて
- メキシコ人移民:グローバリゼーションの時代
- 移民キャラバン:貧困、ギャング、国家経済の破綻
- 移民をなくすには:ラテンアメリカはこう考える
- まとめ
カリフォルニアはメキシコだった? チカーノと呼ばれる人たち

画像出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
1824年の地図です。メキシコの国土、広いですねえ。現在のカリフォルニア、テキサス、ユタ、アリゾナ……。実はこの辺りはかつて、メキシコ領だったのです。
なぜアメリカ領になったかって? 答えは簡単。戦争に負けたからです。
米墨戦争
ミジンコでもわかる時事ニュースさんより。コンパクトにまとめてくださって、すごくわかりやすいです。
1821年に独立したメキシコは、スペインから広大な領土を引き継ぎました。上記の地図がそれです。しかしそこに、同じころにイギリスから独立したアメリカの人が、たくさん移住してくるようになりました。
メキシコとアメリカの間に戦争が起きたのが1846年。2年後にメキシコは敗戦、割譲、売却などを行い、約3分の1もの領土を失ってしまいます。
チカーノと呼ばれる人たち
今のアメリカの西部には、米墨戦争が始まる前から、スペイン語を話すメキシコ人が大勢住んでいました。戦争が終わっても行く場所もなく、彼らはそこで暮らし続けます。
アメリカ国民となっても、言葉や文化を守り続け、ロサンゼルスには今でもメキシコ系アメリカ人、チカーノの人たちが暮らす街があるそう。Bappa Shotaさんがリポートしてくださっています。
チカーノの人たちはよく「私たちが国境を越えたんじゃない。国境が私たちを越えたんだ」とおっしゃるそうですが、確かに。説得力がありますね。
参考資料
サイト 【チカーノとは誰か?】その定義や歴史についてわかりやすく解説
ドラマ Gentefied/ヘンテファイド
ドラマ ホアキン・ムリエタの首
ラテンアメリカと移民:移民の受け入れ先だった
先日記事にした「ラテンアメリカ経済入門」に、このような記述がありました。
20世紀の声を聞く頃には,日本からも多くの移民がこの地に到来し,とくにブラジルには巨大な日系人コミュニティが存在する。第一次世界大戦後を中心に中東からやってきた人々は,シリア・レバノン系をはじめ現在でも存在感を示している。このように,ラテンアメリカはその歴史を通じ,圧倒的に移民受け入れの地だったのである。
20世紀以前にも、ヨーロッパから、あるいは奴隷として連れてこられたアフリカの人たち、アジアからも、多くの人が南北アメリカ大陸へ移住してきたといいます。
関連記事
冷戦とラテンアメリカ移民:軍政、独裁、内戦から逃れて
チェ・ゲバラが活躍したキューバ革命。1956年にキューバは共産国となり(経緯はもう少し複雑ですが、ここではざっくり)、アメリカはその動向に神経をとがらせることになりました。冷戦の時代です。民主主義諸国と共産主義諸国とが、その勢力範囲を争っていた頃のできごとです。
キューバの影響を恐れたアメリカの後押しもあり、1970年代になると、ラテンアメリカ諸国には軍事独裁政権が誕生するようになりました。
ラテンアメリカちゃんねるのひさの先生のご解説です。専門家でいらっしゃるのに親しみやすいお話の仕方で、とってもわかりやすくて勉強になります。
この頃の話はけっこうえぐい。映画などにもなっていますから、ご覧になった方もいらっしゃるかも。
こうした背景もあり、ラテンアメリカからは70年代から90年代にかけて、大勢の人が国を離れ、アメリカやヨーロッパへと移住したのです。
関連映画
メキシコ人移民:グローバリゼーションの時代
おもしろい記事を見つけました。トランプ政権一期目のころですね。
1990年代、NAFTAが結ばれたことをきっかけに、メキシコの経済が低迷。豊かな暮らしを求めて多くのメキシコ人がアメリカへ渡ったといいます。彼らは合法の、あるいは不法の移民として、アメリカ人がやりたがらない仕事に従事、アメリカの社会を支えていました。
(※NAFTAが移民の原因となったかについては諸説あり)
しかし
今は米国に密入国するメキシコ人が激減し、中米から暴力を逃れてくる人が急増しています。メキシコ政府は中米からの密入国を阻止するため、米政府の支援を受けています。「米国の国境がメキシコまでせり出してきた」とも言われています。
「今」とありますから、2019年当時のことをさすのでしょう。この頃から、メキシコからの移民は減っているとありますね。
アメリカへ向かう移民の、新しい波が始まります。
関連映画
※2004年、アメリカで公開された映画。サービス業で働くメキシコ移民が街から消えたらどうなるかを描くコメディ作品のようです。日本語版がないので、英語のトレーラーを貼っておきます。
移民キャラバン:貧困、ギャング、国家経済の破綻
中米諸国
中米、エルサルバドルの刑務所のニュースをご覧になった方はおられるでしょうか。大勢の若い男性が、ショートパンツ一枚の姿で並べられ、あるいは座らせられている写真が印象的でした。
エルサルバドルはかつて、国内の殺人率(こんな指標があるんですね)が高く、世界で最も危険といわれたこともあったようです。その理由はこちら。
また、ホンジュラスでも同様に、国内には治安の問題があるそう。
ここにマラス(Maras)という言葉が出てきます。それはいったい?
ウィキによると、マラスなるグループが結成されたのは1970年代後半〜1980年頃、アメリカ、ロサンゼルスでのこと。最初は不良少年の集まりみたいなものだったようですが、だんだんと凶悪化し、麻薬密輸などの犯罪に手を染めるようになったとのこと。
90年代のはじめには取り締まりが厳しくなり、アメリカから(親の)出身国へ送還されるように。そこで、マラスの活動は中米諸国へと広がった、ということのようですね。
治安が悪化した国から逃れるために、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスなどの中米諸国から新たな移民が生まれ、その大量の流れは「移民キャラバン」と呼ばれました。
南米・ベネズエラ
近年では、南米のベネズエラからも多くの人が脱出しています。こちらの原因は主に、国内経済の悪化があるようです。
左派が政権を取るベネズエラにはアメリカからの経済制裁もあり、また、経済政策の失敗もあり、毎年ひどいインフレに見舞われているといわれているそう。彼らの中にはパナマから中米へ、徒歩で渡る人も多いようですが、その間にはダリエン地峡という地理的に厳しいエリアがあります。
密林の中、道路なんてない場所を歩いて渡る移民たち。再度、国境なき医師団の記事を。
最後にBappa Shotaさんの、南米移民密着レポートをご紹介させてください。(しかしこの人どこでも行くなあ。すごいわ)
関連書籍
わたしは、不法移民: ヒスパニックのアメリカ
マラス 暴力に支配される少年たち
移民をなくすには:ラテンアメリカはこう考える
ロイター。
注目していただきたいのはこちらの文章です。
その上で、人々が母国を離れる理由の根本的な原因に対処することで、移民を減らしていくとの方針を示した。
ちょっとだけ考えてみてください。もし、生まれ育った場所が平和で、安全で、イヤなヤツもちょこちょこいるけど、そこそこ稼げる仕事もあるし、食うに困ることは当面なさそうだったとしたら。着の身着のままで外国へ行こうと考えたりするでしょうか。
ラテンアメリカから大量の移民がアメリカへ流れ込む理由。それをなんとかしませんかと、メキシコの大統領はおっしゃっているわけですね。
もちろん、これが総意ではないでしょうが、こうした考えもあることをメモとしておきたいと思います。
まとめ
移民問題で揺れるアメリカですが、しかし、そのアメリカの土台を支えてきたのが移民であることも間違いのない事実なんです。
先日ニュースでみたのですが、アメリカのイチゴ農家の方が「作業をしてくれる移民がいなくなって、イチゴの摘み取りができない」と述べておられました。イチゴ! 大問題ですよ。
とはいえ、不法のまま滞在し続けることも、許されるべきことではありません。トランプ大統領の移民排斥政策には、多くの合法移民の方の支持があるとききました。彼らの言い分ももっとも。
アメリカの移民問題は、長い時間をかけて作られた歪みであるように私は思います。であればまた、長い時間をかけて解消するしかないんじゃないかなあ。
最後に書いておきたいのは、ラ米系移民がアメリカ社会にもたらしたのは、決してネガティブな影響ばかりではないということです。音楽や映画、ファッション、そして食べ物。
今度はアメリカとラテンアメリカの食文化が融合した「TEX-MEX」について、おいしい記事を書きたいと思っています。こうご期待?!