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志位和夫・斎藤幸平「対談」動画を見る

 共産党議長の志位和夫が斎藤幸平と対談をしている。

www.youtube.com

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 ぼくは、このブログでも志位は斎藤と議論すべきだと言ってきた

 近年論点となっている「脱成長」との異同や概念上の整理もない。

 そこに踏み込めないのか、踏み込まないのか。

 斎藤幸平あたりと討論してみてほしいものである。

 そして、志位はこの「対談」(後編)において、斎藤と「脱成長」について斎藤と議論している。まさに、ぼくの提起をちゃんと志位はやったわけだ! なかなかエラいぞ!

 

 この「対談」を聞いてみてどうだったろうか。

 ぼくの感想を以下に書いてみよう。

 

実質的な「志位インタビュー」になってしまった

 まず、残念ながら、動画の多くの部分が「志位和夫による共産党の見解紹介」になってしまっている。そのため、期待していたような議論の緊張はあまりない。議論(論争)は「脱成長」と「AI(技術)」の問題のところだけに限られてしまっている。

 どうしてこうなったのだろうか。

 実は「対談」のように見えて「対談」ではないのだ。斎藤自身が述べているように、斎藤はインタビュアーであり、志位はインタビューイである。この役割分担では、「志位和夫による共産党の見解紹介」になってしまうのはしょうがないだろう。

 まずは「お近づき」ということでこうなったのか、それとも志位側(あるいは斎藤側)が条件をつけたのかわからないが、残念というほかない。

 例えば、志位による「共産党流の共産主義解釈・マルクス解釈」に対して、斎藤が違和感を持ったとしても、1回くらいツッコむ程度で、2回、3回といわゆる「更問い」ができないのである。

 インタビューイの主張を明らかにさせる「報道」であればこれでいいのだが、ぼくが見たかったのは、共産主義マルクス主義についてのライブ感のある議論だった。 

 

「脱成長」論争は面白かったが…

 後編で「脱成長」についてどう思ってますか、と斎藤から問いただし、聞かれたから答えますよという体で志位がそれを批判したのは緊張感があった。

 これは間違いなく良かった。

 良かったのだが、食い足りない

 脱成長論への疑問は、ぼくもある意味で志位と共通している。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 ただし、「脱成長」をどう定義するか、「生産力」をどう定義するか、という問題によってはその答えは変わってくる。

 浪費を削って、必要な経済部門・地域を成長させることであり、質的な発展を勝ち取ることでそれを実現させるというのであれば、斎藤とも志位とも近いものになる。

 ヒッケルの『資本主義の次にくる世界』を評したときぼくは次のように書いた

本書の立場をぼくなりに要約しておけば、

  1. 現在の成長主義はGDPという数値全体を引き上げることが自己目的になっており、その場合、社会にとって何が必要かという視点が失われ、とにかくなんでもいいからGDPをあげればいいということになってしまい、そうなると貧困などの解決に役立たないだけでなく、地球環境を破壊し限界に追い込んでしまう。
  2. ゆえに、GDP引き上げを自己目的にする成長主義を脱却すること=脱成長をはかり、地球環境を守りながら、貧困の解決、社会保障の充実など社会にとって必要な分野を特定してその原資を作り、増やすことを経済の目的にすべきだ。
    というものではないか。

 これは「価値の自己増殖」「利潤追求を自己目的とする経済」である資本主義からの脱却をめざし、社会の必要のための経済に変えるという(ぼくなりの)コミュニズムの理解と整合的である。具体的にどう実践するかはおいておくとしても、原理的には問題が整理されている。

 斎藤幸平は動画の中で聽濤弘の名前をチラリと出していたが、斎藤と聽濤は対談して議論している。もっと踏み込むべきだったろう。

adayasu.hatenablog.com

 どう踏み込むべきかと言えば、志位は気候危機打開をしながらグリーン・リカバリーやグリーン・ニューディールのような形で成長と両立できるんだと主張しているわけだが、斎藤はそもそも『人新世の「資本論」』でそれを欺瞞だと言って厳しく批判しているはずだ。いくら志位が「両立できる」というテーゼを言ったとしても、斎藤がそれを数字も出して批判するのであれば、どちらが正しいか議論になるはずである。

 この問題は単に政治的立場の問題ではない。事実や数字という証拠を示して、成長と気候危機打開が両立するかどうかを具体的に検証できる問題のはずだ。

 本当にグリーン・リカバリーやグリーン・ニューディールは欺瞞なのかどうか、検証してほしかったと思う。

 そして、同じことの裏返しだが、志位が斎藤批判としてあげた1点目——企業を巻き込むために「脱成長」は言いたくないなあ、というのは、おかしな話である。

 企業がいい気持ちで乗ってくれるかどうかとかそんなレベルの話ではないはず。他の課題と違うんだよ。

 というのは、前述の通り、「経済成長を続けたら地球が滅亡する」という証拠があるなら、それをはっきりと突きつけるべきであって、自分たちが死んでしまっては元も子もないからそれなら気候危機打開のための強権政治=気候毛沢東主義すらありうるはずである。だって死ぬんだよ? しかし、グリーン・リカバリーやグリーン・ニューディールで成長と両立するなら、そのロジックで企業を説得すればいいだけの話であって、1点目を論点にする必要はないように思う。だって、いくら企業が自主的に参加しても、やってることが「おままごと」だったら、人類みんな死ぬんだよ? 強制的にでも必要なことやらせるだろ。やらないと死ぬんだから。

 

他にツッコんで欲しいと思った点

 志位から斎藤にツッコんでほしいと思った点は以下の通りだ。もちろん、志位自身も答えねばならないが。

  • 企業・商品・市場・分業はなくなるのか? 協同組合以外にはどんな形態が残るのか?
  • 3.5%が変われば社会が変わるというが、そんなことはないのでは?
  • マルクスが晩年「脱成長」派だったっていうけどホントか?

 他方で、斎藤から志位にツッコんでほしいと思った点は以下の通りだ。もちろん、斎藤自身も答えねばならないが。

  • 搾取をなくすって一体どういうこと? どうやってなくすの? どうなれば「なくなった」って言えるの?
  • 「なんでそんな立派な共産党の支持が広がらないの?」という斎藤の質問に志位は「民青が増えている」「赤旗電子版は増えている」と言ったけど、じゃあなんで民青から党員は増えないのか? 赤旗電子版の数千部程度の「増加」(新契約)は単に志操堅固な党員が(もう1部)とっているか、紙からの切り替えじゃないのか? 赤旗事業トータルではどうなのか? 長い間機関紙読者や党員が減り続けているのはどうして? 地方議員数は? なんで国政選挙で大きくどんどん減ってるの? とさらにツッコんでほしい。
  • 4時間が必要労働、残り4時間が剰余労働と言うけど、じゃあ、剰余労働のうち、生産的労働以外の部門(公務・商業・金融)に振り向けるぶん、拡大再生産・社会保障・公共事業に振り向けるぶん、労働者の直接の賃上げに回すべきぶんはいくらで、ここから時短に使える分は現状ではいくらなの?

 

政治共同と学問論争の腑分け

 動画の最後に志位が、マルクス解釈などの学問的立場は大きく違うけど、政治的な共同はしたい、と呼びかけたのはとても良かった

 すごく大事な点だと思う。

 拙著『正典(カノン)で殴る読書術』でレーニンの『唯物論と経験批判論』を紹介したが、レーニンは、哲学論争が政治的な分裂を招かないように配慮したという話を書いている。そういう態度はとても大事だ。

 

 ひょっとしたら、志位は「自分があまり挑みすぎると学問への介入になる」と思ったのかもしれない。それはそれで必要な慎みかもしれない。

 しかし、斎藤からの問題提起とはいえ、すでに論争してしまっているではないか。「お前の脱成長論はダメだ」って。今さら「介入しないモン」とか言っても仕方ないだろ。そして実際に論争してしまっても、政治共同をきちんと忘れないという今回の「対談」の締めのスタイルが踏襲できるなら、遺恨は残るまい。もっと自由にできるはずである。

 そもそも学問研究として『日本共産党』を発表した中北浩爾には敵愾心を剥き出しにしながら、斎藤にはこんな感じではあまり説得力はあるまい。志位が自己満足で斎藤と中北の扱いの差に細かな違った条件をつけたとしても、国民には全くその違いはわからないのだから。「斎藤とは握手しているのに、中北は叩いている」としか見えない。

 「学者に何もいうな」というのではない。理論については穏健に反論しながら政治課題では共同する——その程度の政治技術の運用がなぜできないのか、ということである。

博多ポートタワーの夜景

細かい点で

 「原子力」「原子力エネルギー」一般を危険であり採用すべきでない「悪の技術」であるかのように志位は述べていたが、それは不正確なのではないか。

 共産党の立場は現在の原発技術は本質的に「未完成の技術」であるという見解だったはずだ。「未完成の技術」であるがゆえに「異質の危険」があり、「放射性廃棄物」の問題があるからだと主張していた。

 もともと共産党原発は「総点検で危険なものは停止」論から「段階的撤退」論をとり、東日本大震災後に「即時撤退」論に変わった。しかしいずれも共通して、「原発は未完成の技術である」という考えをベースとしていた。

www.jcp.or.jp

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 完全即時撤退論に変わったために、「未完成の技術」論は放棄したと思うかもしれませんが、完全即時撤退論への転換後も、共産党は繰り返し党の公式見解として「未完成の技術」だと述べていることからも、「未完成の技術」論の立場に立っていることは疑問の余地はありません。

もともと原発自体が未完成の技術で、ひとたび事故を起こせば未曽有の事態を招くことは、福島第1原発事故が7年半を過ぎても収束の見通しがたたないことからも明らかです。(「赤旗」主張2018年11月11日付

なにより原発は未完成な技術で想定できないトラブルや事故の危険もあります。(「赤旗」主張2016年3月5日付

 このテーゼ(規定)は、第二次大戦で核兵器の惨害を味わった一方で、自主・民主・公開の原則のもとで「原子力の平和利用」を考えていた多くの党員研究者・良心的研究者の戦後の声を反映したものだ。「今は未完成だが、将来は平和利用をしたい」というニュアンスを込めて。だから、科学・技術としての可能性を否定することには、しつこく留保をつけるほど共産党は慎重だった。

 そして、原子力エネルギーについてはその将来の可能性は否定せず、科学・技術としての開発や研究は閉ざしてはならないというのが本来的な立場であった。

核軍拡ともうけ本位の原発増設という二重の暴走をやめさせて、原子力の利用を新しいページに切り替える。核エネルギーの引きだし方も、できあいのやり方を固定して考えないことですね。(不破哲三不破哲三対談集 自然の秘密をさぐる 宇宙から生命・頭脳まで』新日本出版社、1990年、p.82)

核兵器開発とはかかわりのない原子力エネルギーの平和な研究開発の中で、安全を保証できる炉材料や高レベル放射性廃棄物の消滅技術の開発がすすんだ時に、小型で安全に制御できるタイプの原子力エネルギーの利用の可能性などは将来あり得るものです。その可能性を否定するのは科学の立場ではなくなります。(吉井英勝『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』新日本出版社、2010年、p.196-197)

 例えば、共産党核融合技術についてはその研究開発の可能性を、「原発即時廃止」に政策を変える前も変えた後も、主張している。*1

 もう一つ、核融合原発と比べて安全性が高いわけなんですけれども、しかし、リスクがないわけじゃないと思うんです。
 例えば、核融合炉での爆発というのはまずないわけですけれども、電気系統などからの爆発なんかは想定されるんじゃないかと思うんです。もちろん、高レベルの放射性物質が拡散される原発に比べて被害は桁違いに少ないわけですけれども、リスクはゼロじゃないと思うんです。安全神話をもとに進められた原発の苦い教訓もあります。
 核融合炉の開発に当たって、原発との違い、あるいは安全性を強調することとともに、さまざまなリスクも想定して、国民の皆さんにも示して、理解を得ながら進めていくということの必要があると思うんです。(島津幸広衆院議員、2017年6月6日、衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会)

 

核の平和利用について問われた吉井氏は「米国が兵器に利用し、出発点がゆがめられてしまいましたが、核分裂核融合は科学の研究として続けなければなりません」。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-10/2011071004_01_1.html

 

核融合の研究開発については、将来の人類にとっての恒久的エネルギー源を確保する一つの選択肢と考えております。同時に、核融合についてはなお多くの課題が残されており、イーター計画とブローダーアプローチの実施は、安全の確保、基礎研究に財政的なしわ寄せを寄せないことなどに十分な注意を払い、国民の理解を得ながら進めるべきものだと考えております。(緒方靖夫参院議員、2007年5月8日参議院 外交防衛委員会

 

 現在の原発は撤退すべきだろうが、「原子力」の否定という括りにしてしまうと、おかしなことになる。

*1:ただしこれを当面の脱炭素の切り札のようにして投資する性急なやり方には反対している。




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