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ジェンダー平等や共生の「思想」は本当はどれくらい浸透しているのか

 参院選挙が終わって、改めて思ったのは、ジェンダー平等や外国人との共生などの「思想」は、思ったほど浸透していないのではないかということだった。

 特に、私の父母の世代から私のすぐ下の40代くらいまでの層。

 若い世代でも上の世代よりはマシとは思うけど、比較の問題に過ぎない(もちろん昔と比べて前進し、若い世代では急速に変化していると感じるが)。

 これらの問題について、公でホンネを口走ると叩かれるので、考えを改めないまま潜在化していくことになる。トランプ支持層なんかもそうなのだとよく言われるが、まあ、その日本版である。

 あるいは、ロジックでの批判が全然効かないケースもある。私の知り合いの高齢者なのだが、「子供も持つのが当たり前」「子供を持たないと不幸」が持論で、ことあるごとに繰り返すので、周囲が批判する。しかし、「へえそうなのか。でもやっぱり子供は…」と数秒後に無根拠に繰り返すのである。

 

 東浩紀参院選開票後の「特番」を見ていて、冒頭で、家父長制的な家族のありようを選択している家もあって、それに立ち入って「あんたの家はおかしいよ」とか言えるのかという趣旨の話をしていた

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 別に東は家父長制を擁護しているのではない。個人主義的な選択の結果「家父長制的な家族」を選んでいる場合は、厳密な意味ではそこには介入できないし、大ざっぱな意味ではジェンダー平等とか言うだけで自分たちが否定されているような感覚を受ける…という話なのだろう。「いや夫婦別姓を主張しても反対者の生き様など否定はしていない」と言いたくなるが、「そんな気持ちになるは間違いだ!」と言ってもなかなか納得してもらえない。そういう気分になるんじゃねーのというだけの話だから。

 もちろん、ぼくはジェンダー平等や外国人との共生を支持をする。

 だけど、それが国民の中で、本当は(かなり前進はしているが)まだまだ浸透していない時に、選挙戦になってそれをメインで、あるいは大々的に訴えるのは、果たして得策だろうかと思う。

 日常の粘り強い社会運動があって、その結果、社会の深いところで多くの人の意識が変わっていって、その総決算として選挙戦でその「大多数の意識」に乗っかって選挙をするというのが勝利の常道のはずだ。

 選挙戦が始まってから「さあ選挙戦を通じて国民の意識を変えますよ」なんてやっていたら、もう負け確である。

 もちろんあえてそこに挑むという戦略がないわけではない。選挙戦を通じて劇的に変わるということもあり得る。そこは否定しない。だけど、それは賭けになるだろう。

 例えば共産党は「安保条約廃棄の旗を高く掲げる」はずだが、選挙中これを訴えている候補を見たことがなかった。それはまだ国民多数の意識が安保条約を廃棄することを当然としていないのだから当たり前の戦術だと思う。それが正しいのである。

 

 まず、細かい選挙戦術の話として言えば、「差別反対」や「ジェンダー平等」は明らかに大事なテーマではあるが、国民多数の意識がまだそのように準備されていない状況で選挙戦に入ったら、訴えるテーマは、そのような意識になっていない層も含めて一緒になって共感し合えるテーマ——例えば消費税減税とか賃上げとかであるが、そういうテーマを圧倒的に大きく掲げて共感を得るべきだろう。

 先ほどの知り合いの高齢者のような人と対話するのであれば、子供を生むことの是非には少なくとも選挙戦では立ち入らずに、消費税減税とか賃上げ・年金アップなどで一致を勝ち取るべきなのだ。

 「差別反対」「ジェンダー平等」「共生」などを訴えて、確実に投票してくれそうな人をキャッチするという方法もあるかもしれない。共産党は後半、次第にそのような方向に傾いていったが、結果は比例代表では過去最低の議席・得票という歴史的惨敗だった。

 もうちょっと日常の風景で考えてみる。

 知り合いの高齢者が「外国人は怖いねえ」と言った場合、データなどをあげて反論するという道もある。他方で、「へえ、そうなんだ」と言って聞き流し、他の一致できそうなこと、例えば今の政治がどうひどいとか、そういうことで共感し合うという方法もある。全てに反論しなくても、ここは共感できそうだという点だけを一つ、突破するというやり方である。

 同じように、例えば、パパ友・ママ友と一緒に出かけ、相手家族のパパがその家のママに「おい、おしぼりはどうした。ないぞ」と言い、「ごめん持ってきてない」と返し、「出がけに『おしぼり入れとけよ』って言っただろ!」とやや強い語調で行ったとする。ママは「ごめんごめん」。もしこういうやりとりを聞いたら「言い過ぎでは」と突っ込むだろうか。スルーするだろうか。あるいは関係をフェードアウトさせるだろうか。

 ぼくはたぶんこのレベルならスルーしてしまう。

 しかし、もし介入していこうと思えば、「おしぼりってママさんがいつも用意しているんですか?」「そっかー、この前私の弟のところでも似たようなことがありましてね、で、弟の方が用意してみたんですよ。そしたらですね…」のようにやんわり違う選択肢を示してみるやり方もあるかもしれない。

 知り合いの編集者とこの話をしたら「わかりますけど、結構気を使いますかね。だんだん関係が薄れていくかも」と言っていた。

 だけど、おそらく「社会運動としてジェンダー意識を変える」というのはこういうことの積み重ねしかないのだろう。講演会をやって人を呼ぶというのは、一つの道だけど、そこにこのパパ・ママは来ないし、たとえ誘って来たとしても「おしぼり」の話だとは思わないかもしれない。*1

 

 また、「◯◯人死ね」「国に帰れ」といったヘイトスピーチのように、弱者が脅威にさらされるほどの暴言や威圧をするような場合には引き続きカウンターは緊急避難的には有効だと思う。だけどそれは、表現の自由が広く存在することを前提としてそれを尊重し、それでもどうしても放置できない場合に限って、自らの広範な支持も失いながら、弱者の権利を緊急に守るというまさに「カウンター」としての役割であるから、極めて限定的なものだ。単に「反対言論の封殺」のように使われることは厳に戒めなければならない。

 

 どのみち、ジェンダー平等にしろ差別反対にしろ、社会の深いところでみんなの本当の意味での「思想」になっておらず、反発を抱えているものは、繰り返し反動として吹き出してくる。そして、極右のような潮流への対抗はまさしくそこでの地道な陣地戦をする他ない。

 その「地道な陣地戦の現場」は、決して「街頭演説会場」ではない。そんなところに「現場」はない。*2PTAや町内会に参加して、一緒にベルマークを選別したり地域のゴミ拾いをしている中で、10個の反動的なことを言われたうちの1個だけにゆるやかにからんでいくとか、そういうのが「現場」なのではないだろうか。

 「極右的な潮流と社会運動としてたたかう」とはそういうことのはずだ。また、それが間に合わずに選挙戦を迎えたら、「みんなが共感できそうなテーマに集中して、極右よりも選挙で上にいく」ということになるだろう。今回でいえば、物価高騰対策や消費税減税・賃上げなどである。

 

 ぼくの言いたかったことは、

  • ジェンダー平等にしろ差別反対にしろ気候変動対策にしろ、人々の意識を変える作業は日常的な地道な社会運動として行うべきであり、選挙戦でやるのは手遅れである。
  • 選挙戦ではその時点で多くの人が本当に共感するテーマをメインの政策として集中的に打ち出すべきだ(そうなっていない問題は言ってはいけないわけではないが、扱いはかなり小さなものとなる)。

 

となるだろうか。

 ただ、否定的な評価がすぎるということもあるかもしれない。各種の世論調査や、あるいは参政党・保守党に入れなかった人は逆にこれだけいるのだ、という示し方もあるだろうから。そのあたりは固定せず、さまざまな意見を聞いて考えてみたいところではある。

*1:いい講演やワークショップの場合は、「思う」かもしれないので、講演に来てもらうのをあきらめる必要はないが。自分と違う考えを体系的に聞いて考えを変える人も確かにいる。

*2:緊急避難のカウンターの現場はあっても、「地道な陣地戦の現場」はない、という意味で。




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