フーゾクをどういう温度感で描くのか、というのはなかなか難しいところである。
エロの角度から描く…というマンガもそれなりにあるが、人によってはフーゾクに行くことがエロという目的を達するものだからそれを客観視したってしょうがあるまいという冷めた見方も十分あるだろう。
他方で、あたかもルポのようにフーゾクをリアルに描く、となれば、フーゾクとは買売春ではないか、そこに行きつかざるを得なかった女性たちの悲惨を描く、という立場もあろう。
多くの作品はそれらの両極にはいない。
過去にいくつか感想は書いたことがある。
感想を書いたことがないもので言えば、マンガで描かれた中村淳彦・小田原愛『東京貧困女子』はどうか。作品としての出来不出来とはまったく別に、告発の調子をとりながら、絵柄に読者への扇情、つまりエロがあるので、ぼくの中にある倫理コードに引っかかってしまい、残念ながらぼくはうまく読めない。*1
今回紹介する岩浪れんじ『バルバロ!』は、店舗型の性風俗店であるファッションヘルスで働く女性たちが描かれている。
ぼくはフーゾクで働く女性たちのリアルを別にしているわけでも何でもないが、本作はそこでのセックスワークを客観視することで、あるときは「笑い」に換え、あるときは「気持ち悪さ」に換え、またあるときは「人間交流の不思議さ」に換えて読者に届ける。
いつも明るくて笑いの絶えない(目が笑っていない)まゆみ、音大に通ったことがありクールで寂しいそうなシヲ、言葉遣いが乱暴でガラが悪く三白眼のチナツなど風俗嬢側が魅力的なキャラクターであるばかりでなく、客の方も、老けているのか若いのかっよくわからない溝◯をはじめ、個性的である。
女性のハダカも描かれるし、行為も描かれるが、少なくともぼくはエロさを全く感じない。きわめて客観的で観察的だからだ。
風俗店での彼女たちばかりではなく、独身者の家、離婚調停中の家庭、休日の別のバイトでの彼女たちの姿も描かれる。
よくある「風俗の仕事はこうなっています」「こんなエピソードがあります」という話もあるのだが、それよりも、風俗嬢の私生活や家族との関係がどんなふうになっているのかが、セックスワークをしている彼女たちとゆるやかに人格がつながっていたり、切断していたりする様子が描かれていて、そのあたりが引き込まれて読まされてしまうのである。
とくにまゆみ。
まゆみは離婚調停をしている。
しかしまだ夫が好きなのである。
夫はイケメンなのかというと、そうでもないし、かといってDVとか犯罪の匂いのする存在でもない。
「どんな人なんですかぁ」と同僚に問われて、一言にこやかな(しかし目が笑っていない)真顔で「暗い」と紹介する。
夫と海で出会うエピソードが描かれ、どこに「きゅん」としたかも描かれる。
い…いやあ…かわいい…? かわいいのかなあ…? それともそうでない感じなのか…?と読む方はそんなふうに疑問を持ちながらも、そこに「きゅん」としたものを覚えちゃったのか、と何か妙な説得力があるのだ。
ヘルス嬢が私生活との全体性において描かれ、セックスワークはその一部である、あるいは一部でしかないことを、活写している。
*1:虚構として割り切ってエロに耽溺し現実世界に持ち込まないのか、現実の問題としてとらえ貧困や隷属の告発を真剣に考えるのかが混線してしまい、距離感が取れなくなる、というような意味。エロいから読んではいけない、という意味ではない。