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最悪の年にあらず

 昨年、すなわち2023年は人生最悪の年だった。と昨年の終わりに書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 今年はその最悪を更新したか、といえば、そうではなかったのである。

 え? 組織を追放され職まで奪われたのに?

 そうなのだ。

 そして、組織幹部によってズタズタにされた心はまだ戻っていない。依然として通院と投薬は続いている。今でも法廷や日常で彼らと会うことについては不安が大きい。

年越しの準備をする八幡社(愛知県)

 

いろんな人が手を差し伸べてくれたから

 にもかかわらず、最悪でないと思えるのは、一つは、いろんな人たちが手を差し伸べてくれたからである。

 本当に困った時に助けてくれる人こそ本当の友だちじゃないか!

 …というあまりにもシンプルな、道徳の教科書にでも載っていそうな人情が心にしみる。そういう単純な喜びである。

 たとえば裁判支援の「募金」という形で支援を呼びかけてみて、そこに名前が出てくるだけでも「ああ、こんな人が…」とか思う。「100円」を募金してくれる人もいて、そこにも「応援してますよ」というメッセージを感じた。切れ目なく寄せられていて本当に感謝しかない。

 もちろん、それ以外の形で助けてくれたり、声をかけたりしてくれる人もたくさんいる。SNSでちょこっと「いいね」を押してくれるだけでも、あるいは日常の何かのついででも、そういう心遣いが伝わることがあって、その度に感動してしまう。

 困った時にこそそういう情けが普段以上に身にしみるので、日々「じ〜ん」としてしまうことの連続なのである。

 

沈黙を強制されず社会的に公然と声を上げられた

 もう一つは、裁判という形で声を上げることができたからである。

 ぼくの組織追放はそれ自体がぼくの尊厳を奪い去るものであったが、この追放は解雇とハラスメントをともない、その全体が組織内にとどまらない人権侵害であった。

 来年は巳年だが、もし「蛇の生殺し」みたいにさせられていたら、自分はずっと組織ルールを守って生きていっただろうから、かなり長い期間(ヘタをすれば一生)、誰とも交流できないような部署に押し込められたまま、自分が受けてきた仕打ちを沈黙させられ続けたかもしれない。…とか思うとゾッとする。

 裁判というたたかいを起こして、広く社会に訴え、自由に人と交流できるようになって、ある種の解放があるのだ。

 そのような倒錯を感じさせてしまう組織のありよう自体が間違っているのだと言えるし、それがまさに幹部が組織を私物化していることの結果なのである。

 幹部は反省もせず、逆に内部から声をあげようとする人たちをシラミ潰しのように弾圧して回っているようだけど、そういうやり方は長期的には続かないと知るべきだし、そのような内部の圧殺をいよいよ加速する幹部のやり方を見てますます(不本意な始まりではあったが)裁判という外からのたたかいにぼくが立ち上がったことは、自分の生活と尊厳を取り戻すこととあわせ、組織を変えるために一番有効なカードを得たようにも思える。

 そこに集まってきてくれる人たちは、どちらかといえば「こう変えようぜ!」という、社会運動の原初にある、自主的で前向きなエネルギーを強く感じる。ははは、なんだかそういう運動を始めた高校生の頃に戻ったみたいじゃん、と思うことさえある。

 担当の弁護士のお二人をはじめ、たくさんの新たな人たちに出会うこともできたし、これからもそういう予感しかない。

 自分の身の上に起きたことが公然となり、それへの闘いが「裁判」という形になって現れたことで、やはりここでも感動や元気をもらう局面がまことに多いのである。

 だから最悪の年ではなかったと言える。

 

 

 そして、これはかなり重大なことだが、自分の係累にかかわってのことも昨年末に比べて大きく改善した(依然として根本的な心配は除去されていないが)。まあそれは完全にプライベートなこと。

 

 自分が始めたたたかいが、多くの人の期待を担っていることもわかった。

 来年は、さらに前向きになれるようないい年にしたい。




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