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坂井恵理『逃げるA』

 セックスに責任があるだろうか。*1

 避妊していても失敗する危険性はあって、そのリスクは女性が負うんだから、それで子どもができれば責任が生じるだろ。

 じゃあもし挿入しないセックス(性行為)を楽しんでいたら、それは責任がないってことだろうか。

 AとBがセックスするとして、AとBにはそれぞれCとD(つまりA-C、B-D)というパートナーがいたとしたらどうか。もしAとBがそれぞれCとDに合意を得ていれば問題はないように思える。合意がなければ、現代の性道徳の下ではパートナーへの裏切りであるが、見方を変えればそれ限りのことである。

 じゃあ、CとDの後ろに子どもや家族がいたらどうか。A-CやB-Dの関係が壊れることで、家庭もバラバラになってしまう。

 少なくない場合において、やっぱり挿入はするだろうし、子どもができるリスクはあるだろうし、家庭が壊れるリスクもあるだろう。責任はあるのだ。

 いくつかの条件を設ければその責任を回避(もしくは極小化)できるような気もするが、それは大変な隘路だ。

 

 本作は、妻子があり家庭を持つ、大手企業らしいサラリーマン男性・安藤和人が浮気をしたり、高校時代に彼女を妊娠させてしまった過去を持っていたりする話で、それをその場面ごとに居合わせた女性たちの視点から描いたオムニバスである。

 

 「あとがき」にこうある。

『逃げるA』が生まれたきっかけは、打ち合わせの雑談でした。

「望まない妊娠の末、子どもを殺した母親は罰せられるけど、父親はどこで何を考えてるんでしょうね」

罰せられないばかりか、ニュースや新聞などで父親が特定されることもない。

こういった表に出ないことこそ、創作で描きがいがある。

 可視化された男としての安藤は、アプリで知り合った女性にコンドームをつけずに挿入するし、妻子がいるし、立場の弱い派遣社員をホテルに誘うし、引きこもりの娘の存在を恥ずかしいと思っているし、高校時代に彼女が妊娠したと告げたらバックレるし、女を馬鹿にするときに最高の笑顔をするし、「償いをさせてほしい」と言ってお金を出すことにひそやかな優越感を感じているし、はっきり言ってクズである。

 しかし、高校時代に安藤にやり逃げされてやがて生まれた娘が大きくなって出会った「安藤」に対し、その娘は

ええ

彼らはみんな

あなたにとても似ています

と内心でつぶやく。

 「あなた」って誰だよ。

 責任を取らずに逃げている男性たちのことなのか。それとも男性一般なのか。

 「少女A」のように匿名性=一般性を表すこのタイトルは、「安藤」という形象を通じて問題の普遍性を訴えている。

 

 だけど、ぼくなどはどうしても「じゃあ逆に、例えば挿入しないで、パートナーの合意を得て、相手とも割り切ってするような婚外交渉だったらいいんじゃないのか?」っていうことばかりが浮かんでしまう。

 なので、本作#4に出てくる女性役員の青枝が、わざわざ安藤のトラップにかかりに行って、お互いのことを分かった上で、ホテルに行くくだりなどは、「この関係ならいいと思うんですけど!?」みたいなことしか考えられないのだ。

 つまりこの作品を「どうすれば安藤和人は道義的責任を追及されずに人生やセックスライフを満喫できるのか」みたいにして考えて読んでしまうのである。

 ダメっすかね。

*1:ここでは異性愛を前提とする。




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